発火点
2019年6月2日
伊藤大輔牧師
使徒言行録19章21−40節
信仰とな何か。
私たちの信仰は雪男がヒマラヤにいる。
ネス湖にネッシーがいる。
天に神がいる。
いるかいないかわかないものを「いる」と固めることが信仰なのか。
エフェソでパウロ達は暴動に巻き込まれそうになる。
アルテミスを信仰する神殿の模型を作る職人たちから襲われそうになる。
パウロが「神は神殿になど住まない」と語ったから。
ここにも信仰が登場してくる。
信仰を持った者たちがパウロを襲う。
信仰とは一体何なのか。
はじめ神殿職人だけの不満であった声が街中にと広がっていく。
ついには書記官までもが登場し、この騒ぎは収める。
書記官は語る
「パウロ達は法に触れることは何もしていない。法に触れるのはむしろ騒いでいるあなた達だ」と。
ローマの法は教会を味方している。
この使徒言行録を最初に読んだ読者たちはローマ帝国との戦争に敗れた者たち。
この後、自分たちに何が起こるのか不安の中にいた。
その者たちがこの物語を読む。
ローマの法が教会を守る。
これが実際の記録かどうかは定かではない。
ただこの物語はその読者たちに希望を与えたのではないか。
不安の対象ローマ。
その法は教会と敵対しない。
更に言うならば、ローマの法にまで神の御手は及んでいる。
不安と思うところにすでに神の支配はある。
神がかかわっていないものなど何一つない。
アルテミスを拝んでいた者たち。
彼らは怒り出す。
自分たちの予定と違うことが起ころうとしているから。
予定、人の想像、私の幸福。
こうでなければならない。
神を私の予定に中に閉じ込めようとする。
神殿を作りたい人の心理。
の予定に付き合ってくれる神様。
それを偶像と言う。
偶像にすがることをユダヤ・キリスト教は信仰とは呼ばない。
どこでも、いつでも神はいる。
人の予定の外にも神はいる。
発火点。臨界点。
状態、様相が相転移してしまうポイント。
ここからは違う。
「怒り」を持つものは相転移のポイントを持っている。
信仰は相転移を持たない。
「死」という相転移。
教会の言葉は永遠の命。
何も変わらない。
死を経てもどこまでも続く。
死にも支配されない。
その平安を信じる。
ユダヤ・キリスト教は2000年以上、その信仰が人を生かすものと大切にしてきた。
信仰。
今日のわたしをも生かしていく。
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