世界を支える執りなし
3月26日
創世記18章16-33節
「正義とは何か」
神がアブラハムを選んだ理由。
正義を行うように。
アブラハムが、神に懇願する根拠、神は正義を行うはずだ。
この聖書箇所は「正義」をめぐって展開されている。
正義を行うものと期待されたアブラハム。
彼の言動はソドムに対する裁きの見直し。
正しいものと悪い者を一緒に裁くのは正義ではないと語る。
アブラハムの提案は50人の正しいものがいれば、その者も一緒に裁くのか、という投げかけ。
神はその50人のためにこの町を裁かないと約束する。
50という数字は何を表しているのか。
ソドム全体の人口は記されていない。
ただ、アブラハムが最初に神に堂々と提案できたことを考えると、これはある常識を前提にしているのではないか。
多数、過半数。50は単なる人数ではなく割合い5割を言っていると仮定する。
過半数も正しい人がいるのに小さい悪に注目するのか、
との問いかけならば神も同調するのはうなずける。
ところがここからアブラハムはその人数を減らしていく。
最後は10人。
これは明らかに多数決を、常識を逸脱している。
それでも神はその町を裁かないと約束する。
「正義とは何か」。
多数に踊らされて行うものではない。
小さいもの、
小さい正さであってもそれに注目し、それを大切のするのが正義。
10人も小さい。
だが本当に小さいものはアブラハム。
たった一人で神と交渉する。
怯えながら、怖れながら孤独の交渉をする。
神が怒ったらすべては終わり。
命がけ。
命をかけてたった一人で神の裁きを食い止めようとする。
それは主イエスで成就する。
義人のいない世界ですべての罪を一人で背負う。
この一人に注目するのが神だから。
一本の十字架を大切のするのが神だから、たった一人の業をなす。
「正義とは何か」
小さい私が持っている。
世界の秩序を信じ、私だけにできることを今日、果たす。
小さい私が正義を行う。
世界はいつでも正義に支えられている。
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