このような者にさえ

4月9日 棕櫚の主日


エゼキエル書18章29-32節 
ヘブライ人への手紙10章26-39節   森下 滋神学生


「生きろ。そなたは美しい」

とても魅力的なコピーだが、この言葉だけで私達は生きていけるか?

どうもイザヤ書43:4が元ネタではないか。

だがこのイザヤの言葉を聞くこの私の身代わりとは一体誰なのか。

エゼキエルが預言をした時代、捕囚の民は本当の自分を求めてさまよっていた。

不条理の中で民は叫ぶ、私は罪など犯していない、父祖のせいだ。

エデンの園で、永遠に生きるものとして創造された人間に罪と死が入り込んだ。

しかし神は悪人をも生かそうと語る。(23節)そして一人一人を公平に裁く。

(30節)「立ち返って生きよ」(32節)罪を悔い改めて神へと向き直す時に

私達の肉体と魂に新しい霊が入る。


ヘブライ書は同様の事を語るが、更に厳しい勧告となっている。

私達がキリストによって受けた真理、即ち信仰を故意に捨て去るとき私達は恐ろしい裁き、

死しかない。

罪の代価として捧げられたイエス・キリスト。この生贄は無効になる。

しかし私達が光に照らされた時の後を思い出そう。

迫害が来ても、約束された大きな報いを信じるがゆえに、困難の中で忍耐をした。

終わりの日にこそ私達の約束された報酬が与えられる。

その日から私達の永遠の命の本編が幕開けする。

受け入れるか退くか。私達は信仰により新しい命、永遠の魂を得る事ができる。


私が実際に罪に浸かった末の死の淵においても神は「生きよ」と語られた。

そして神は責任を取る。

「生きよ」とは真理を知ること。

この真理は私達を「生かす」。

罪の解決方法を持たない私達の前で、主イエスは十字架で自らの命を下さった。

私達の罪のために。

私達は「生きる」。

世界で唯一人、主イエスが十字架の死を打ち破って復活されたのと同じように、

私達も信仰により罪の報いとしての死を打ち破る。

捕囚の民の前でエゼキエルは神の言葉を告げた。

「私は誰の死をも喜ばない。お前たちは立ち返って生きよ」。


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