6月5日 主日礼拝 ペンテコステ

6月5日(日)主日礼拝 ペンテコステ
礼拝説教
伊藤大輔牧師

使徒言行録2章1ー13節

過越の祭り
主イエスが十字架にかかる。
50日後
五旬祭・ペンテコステ
教会が始まったとされる。
何が教会の始まりなのか。
主イエスを失った時、散り散りになっていった人々。
どうして教会を始めることになったのか。
50日間にその答えがある。
50日の間に起こったこと。
主イエスの復活。
不思議な出来事。
復活とは何か。
教会の始まりと、どう結びついているのか。
使徒言行録2章、ペンテコステの物語では主イエスの弟子たちが聖霊に満たされて方々の国の言葉で神に業について語り始めたとある。
その出来事も不思議であるが、同じ聖書はその聞き手の発言も記している。
「自分たちの故郷の言葉を聞いている」と。
この発言をしたものは外国で生まれた者たち。
何らかの理由でユダヤに暮らすことが出来なくなった。
元々の言葉は違う。
しかし、エルサレムで生活をする上でユダヤの言葉を身につけなくてはならない。
生まれ育った言葉を話していてはここでは生活できない。
自分の言葉を捨てた。
生まれた時の私でない「私」になった。
これは聖書の中の「彼ら」の物語であろうか。
私たちの物語ではないのか。
社会で通用する言葉。
みんなが持っている言葉。
時代の言葉、社会の言葉を身に着けることによって私たちは「成功」という目標にたどり着こうとしている。
本当の私。
私だけが知っている私の言葉。
それを捨てて、それを忘れて、私でない言葉を身につけて生きようとしている。
「私」を持っていても何の得にもならない。
聖霊に満たされた使徒たちはあらゆる国々の言葉で語り出した。
それを聞いた者たち。
私の言葉を聞いた。
私が捨てた言葉を聞いた。
私が甦ってきた。
復活。
まかれた種は良き地に落ちなければ芽を出すことができない。
良き地とは何か。
種を受けれる心とはどのようなものか。
「私」を求めている心。
私以外のもので固めらえた私から本当の私を削り出そうと求めている心。
あなたは地の塩、世の光と言われ、私の塩味、私の光を求めている心。
この世界では「私」を捨てることを余儀なくされる。
それでも「私」の復活を信じる心。
その求め、
その信仰は成就すると告げたのが、ペンテコステ。
ここに私がいた。
これが私だ。
私と再会する。
それが教会の始まり。
良き地にまかれた種は100倍、60倍、30倍になると主イエスは言う。
励ましの言葉ではない。
2000年前、エルサレムの朝に起こった出来事はその後、世界に広がった。
本当の言葉。
私たちはその流れの中にいる。
神に造られた「私」を求め、その再会を喜ぶもの。
喜びの場所として教会は誕生し、今も立ち続けている。
 
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