4月30日 主日礼拝

4月30日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書22章15~22節

理想主義者のファリサイ派
現実主義者のヘロデ派
この両者がイエスに詰め寄る。
「税金を納めることは律法にかなっているのか」
ローマ帝国、異邦人に納めることになる税金。
理想主義者のファリサイ派にとっては許し難いこと。
異邦人に仕えるなど言語道断。
断固、拒否するべき。
現実主義者のヘロデ派にとってはローマと敵対することは国益に反する。
理想は分かるが理想通りにはいかない。
税金を納めてこそこの国の繁栄は維持される。
理想と現実。
折り合いのついていない話。
折り合いのつけられない話。
それを彼らはイエスにぶつける。
選択肢は一つ。
どちらかの一つを選択した時、もう片方からの批判が始まる。
どちらを選んでもイエスの名声は地に落ちる。
完璧な質問で彼らはイエスにのぞむ。
銀貨を眺めたイエスは彼らに問う。
「この銀貨に刻まれている像と銘は誰のものか」
彼らは答える。
「カエサルのものです」
ならばと、イエスは答える。
「カエサルのものはカエサルに返せ」
現実主義を擁護した。
理想主義者の反撃が始められると思った時
「神のものは神に返せ」
この銀貨はカエサルのものか
神のものか。
イエスは彼らの策略を逃れることに成功した。
だが、理想と現実
この二つの板挟みになるのは世の常。
板挟みの時にどうすれば良いのか。
イエスはそのことについて明確には語っていない。
否、実は語っている。
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」
銀貨は誰のものか。
誰も決められない。
それが答え。
自分で決めろ。
あなたが決断しろ。
理想と現実
なぜ人はこの選択で板挟みになるのか。
どちらかが正しいと思うから。
どちらかが間違っていると思うから。
間違った方を選択すると取り返しがつかなくなる。
ここには一つの世界観が横たわっている。
世界は暗い。
ここに至るまでにイエスは三つの譬え話をした。
仕事を依頼をする父親、収穫を楽しみにする主人、婚宴の席を準備した王様。
彼らは皆、言葉をかけた者たちに無視をされる。
拒絶をされる。
拒絶をしたものたちの理由。
遊んでいる場合ではない。
遊んでいては世界の闇に飲み込まれる。
世界は暗い。
ならば、彼らを招いたものたちの持っている世界観はどのようなものか。
世界は明るい。
楽しもう。
世界は楽しむ場所。
理想と現実
どちらを選べば良いのか。
イエスの答え。
「あなたが決めろ」
この答えにある背景。
世界は明るい。
「あなたが決めろ」
「どちらを選んでも大丈夫」
「どちらでも良い」
どちらも間違いではない。
だから、あなたがしたいようにしなさい。
神のものは神に
神のもの
それは私たち。
私たちは神のもの。
ならば何も恐れる必要はない。
神のものである私の賜物
地の塩、世の光
それを世に示す。
その時、心から、自然にしたくなる、できるもの。
それがあなたの答え。
理想でいくのか
現実でいくのか
あなただからできること。
あなたにしかできないこと。
それを行う。
明るい世界を更に明るくするために。

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