誰もが生きる
2018年6月3日
使徒言行録10章34ー43節
ペンテコステに降った聖霊。
それはどのような働きをするのか。
神は何をなすのか。
ローマの軍人コルネリウスは神を求めていた。
その彼に神が語りかける。
「隣町ヤッファにいるペテロを訪ね、招き入れろ」と。
同じ頃ペテロも幻を見る。
「汚れた動物を食せ」と神から命じられる。
習慣に従い拒むと神が告げる。
「神が清めたものを拒むな」と。
ペテロが眠りから覚めた時、コルネリウスの使いの者がペテロを訪ねて来る。
その求めに応じて異国の者、これまで交流をしてこなかった者の所に赴く。
果たしてそこには神のことを聞こうと多くの人々が集まっていた。
この聖書を読む私たちは登場人物「ペテロ」を「使徒ペテロ」と弁えて読んでいる。
だが、物語の表現に従って読む限りコルネリウスたちは
「ペテロを訪ねろ」と命じられているだけで、
彼の素性までは知らされていない。
とすると、この箇所ではこのようなことを推測することが可能なのではないか。
神の命令によってペテロを連れて行きた。
失礼のないようにもてなすが目の前にいるのは漁師ではないか。
体も逞しく日焼けした浅黒いもの。
おおよそこれまで神について語ってきた学者たちとは似ても似つかない風貌。
このような者から何が得られようか。
ペテロの話が始まる。
神について、
イエスの活動について、
エルサレムでの出来事について、
主の復活について語られる。
そして最後にペテロは言う。
その復活した主イエスと食事をしたのはこの私です、と。
目の前にいる浅黒い漁師は神と共にいた。
立派な身なりをしたどの学者たちより最も神の近くにいた。
これ以上ない神を語るにふさわしい者、最高の者が今、自分たちの目の前にいる。
ペテロは主が最後に告げられた言葉を紹介する。
「宣べ伝えよ」と言われていたこと。
それはまさか異邦人にまでとはペテロは想像してなかった。
福音とはどれだけの力を秘めているものなのか。
ペテロ、コルネリウス、彼らが体験したことは何か。
目の前の現実は自分の想像を遥かに超えているということ。
聖霊、神の働き。
私を超えていつでもこの上のない最も良いもので人を満たす。
愛されている。
聖霊によって人が知らされること。
0コメント