達成の先

2018年8月5日

使徒言行録12章20節-13章3節  

使徒言行録は聖霊の働きを記す物語。

聖霊は何をなすのか。  


ヘロデ王は念願の「シドン」と「ティルス」の街を手に入れた。

王様一人の願いではなく、国をあげての達成したかった目的であった。

王が演説をした時、民は王を「神だ」と言って崇めた。

それほど偉大なことをなした王様。

だが、その王は演説の最中に神に裁かれ息絶える。


今日は「平和聖日」。

平和を祈る日である。

平和を求める。

大切のこと。

平和はどのように実現されるのか。

かつて戦争があった。

世界大戦、

それ以後の争い。

教会の歴史では十字軍も忘れてはならない戦争。

戦争は「正義」のため、「平和」のためと言ってなされる。

達成したかった目的。

その目的を手に入れる。

その結果、戦勝国は、世界はどうなったか。

ヘロデのように息絶える無残なものになっているのではないか。

目的を設定し、それを獲得する。

人が誰しも思い描くロードマップ。

だがそれを実現したところで無残な結果にしかならない。

聖書が語り、歴史において繰り返されてきたこと。

どうすれば平和は訪れるのか。


ヘロデ王が死んだ後、聖霊が教会に臨む。

「バルナバとサウロを派遣しろ」と。

この後、パウロの伝道旅行が始まる。

ヘロデが達成目標としていた「シドン」と「ティルス」が使徒言行録において再び登場する。

特別な街としてではない。

パウロ達の伝道旅行の経由地点として記される。

かつてヘロデが目的としていたもの。

それが使徒達にとっては通過点に過ぎなくなる。

 地理の話でない。

人の心の事柄を語っている。

人にとっての目的。

そこを最終地点としてもヘロデのように朽ちていくだけ。


聖霊はパウロをいざなう。

人が目的としていたものを通過点にしてさらに遠くへ。


平和は人が目的を設定してたどり着けば達成されるものなのか。

人の想いを超えて、ただ聖霊に導かれて進めるものなのか。


人が、ヘロデが達成しようとしたものはエルサレムから北へ200キロ程度の世界。

聖霊に導かれた教会はローマへ、

更には世界中へと進んで行った。


聖霊は何をなすのか。

人の想定より、もっと遠くへと私たちを招く。

「平和を実現する人々は幸いである」(マタイ5:10)

平和を実現する者

聖霊が生み出していく。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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