3月3日 主日礼拝

3月3日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書17章20〜37節

神の国はいつ来るのか。
一番、大切なものといつ出会えるのか。
イエスは答える。
「ここ」「あそこ」にあるものではない。
いつやってくるというものでもない。
場所も、時間もわからない。
空間と時間
時空は「世界」「現実」を表す座標軸。
その座標軸に当てはまらない。
それが神の国。
ならば存在しないのか。
神の国はあなた方のただ中にある。
私たちの中とはどういうことか。
神の国に出会う前に「人の子」は苦難を受けなければならないとイエスは言う。
「神の国」と「人の子・イエスの受難、十字架」とどういう関係があるのか。
「私たちの中」と「人の子・イエスの十字架」とはどんな関係があるのか。
イエスは何故、十字架にかかったのか。
模範解答はある。
私たちの罪の故
私たちの罪の身代わりになって死んでくださった。
正しい答え。
私たちの中。
私たちの中では、それでイエスの十字架についての納得がいっているのか。
イエスの十字架とはそれですべてなのか。
イエスの十字架を巡って、私たちの中で納得のいっていないものがあるのではないか。
イエス・キリスト
その活動の最初、神はイエスについて語る。
「これは私の愛する子。これに聞け」と。
イエスとは何者か。
神の愛する子。
神の一人子。
この言葉の故に私たちには疑問が生まれる。
神にとってイエスが愛する者ならば、何故イエスは十字架にかからなければならなかったのか。
もっと簡略化して言うならば
神は何故、イエスを助けなかったのか。
愛する一人子
その一人が正しいことをしている。
神の思いを実現している。
神の御心にかなった者。
その者が苦しんでいる。
その者がこともあろうに間違ったものたちに殺されようとしている。
裁きに行くのではないのか。
間違った者たちを退治し、正しいイエスを守るのではないのか。
神は何もしない。
ただ、イエスが十字架にかかるのを黙って見ている。
何故、神は何もしないのか。
聖書の世界観
創世記の創造物語に示されている。
この世界は神の思いが実現したところ。
この世界を神は見て、良しとされた。
この世界はどういうところか。
神にとって良いところ。
この世界は良い。
それが聖書の世界観。
神は何故、悪いものを裁かないのか。
イエスも、悪いものも、神にとって愛するもの。
創造物語は事物を二つに分けていく特徴を持っている。
空の星々も、地上の様子も
太陽と月に分け、海と陸に分ける。
二つに分ける。
元は同じもの。
男と女
両者とも神に似ている。
神の写し。
元は同じ。
あれとこれは違う。
正解と間違いがある。
この世界に境界線を引き、分けて整理をするのは人間の都合。
神はすべてを「良い」と言っている。
元は等しい。
何故神は何もしないのか。
イエスが神にとって愛する一人子なら
その他の者もまた愛する神の子。
神の国は世界の時空の中にはない。
時空の中に収まるもの。
「答え」
正誤をつける
優劣をつける
時空の中に納められる。
そこには神の国はない。
時空の中に納めれれる枠組みには神の国はない。
神の国はどこにあるのか。
私に不利益を与える憎い相手
その者も私と同じように神に愛されている。
私の敵も私と同じ。
納得はできない。
腑に落ちない。
それでもイエスを十字架を黙って見ていた神がいる。
善悪を、優越を付けなかった神がいる。
神の国は私の中にある。
私の中にあるもの。
愛するに値しないものをどうしたら愛せるようになるのか。
問い続ける。
価値観の異なる相手を
風習の異なる異文化を、
常識の違う異国をどうしたら愛せるようになるのか。
敵をどうしたら愛せるようになるのか。
正誤、優劣の境界線を引くのは簡単なこと。
答えを作るのは容易なこと。
そこに留まれば本当に大切なものとは出会えない。
神に国はあなたたちのただ中にある。
問い、求め、願い、祈る
私たちのただで起こっていること。
時空の中に置けないもの。
私たちにとって本当に大切なもの。
葛藤する者と神の国は共にある。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000