3月17日 主日礼拝

3月17日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書20章9〜19節

イエス様の譬え話。
ご自分が十字架にかかる譬え話。
ぶどう園を造った主人。
神様を譬えている。
造られたぶどう園
世界。
ぶどう園を任された農夫。
私たち。
主人が収穫の時に僕を遣わす。
収穫を納めるようにと。
ところが農夫たちは言うことを聞かない。
私たちも同じ。
自分たちで努力して作り上げてきたもの。
富、仕組み・システム、社会、エネルギー、武器。
それを手放せと言われても、承服できない。
主人は僕を三人遣わす。
どれも結果は同じ。
三人とも袋叩きにされて返された。
困った主人は一人息子を送ることにする。
この息子が行けば、きっと理解をしてくれるだろうと。
息子を見て農夫たちが思ったこと。
私たちの農園を次に管理をするのはこの男だ。
こいつがいなくなれば農園は私たちのものになる。
農夫たちは息子を殺す。
息子
イエス・キリスト
なぜイエスは殺されなければならなかったのか。
主人は収穫のものを持って来い、と言う。
聖書の中で神様はたびたび、捧げ物を要求する。
神は全知全能。
足りないものはないはず。
ならば捧げ物は必要ないはず。
なぜ捧げ物を要求するのか。
必要だから。
神ではなく、私たちに必要だから。
この世界を人は預かっている。
この世界の中で様々なものを発見し、それを磨き上げ、社会を造って来た。
自分たちの努力、功績
それはまだまだ後代へと引き渡していくもの。
手放すわけにはいかない。
自分たちを守っている武力、富、ネットワーク
これを手放すわけにはいかない。
手放せば、簡単に敵に侵略をされてしまう。
収穫を捧げろと神は言う。
イエス・キリストは何を言ったのか。
あなたたちが大切にしている律法。
それを守れば神様に喜んでもらえると思っているがそれは違う。
律法は「律法にしがみつけ」とは言っていない。
律法はただ、人を励ましているだけ。
イエスの言葉は律法を大切にしているものたちの逆鱗に触れた。
私がすがっている律法を手放したら、私たちはどうなると思っているのか。
武器や、富を手放したら、私たちはどうなると思っているのか。
手放せなど、無責任の極み
そんな秩序を犯すものなど、この世界にはいらない。
十字架にかけろ。
イエスはなぜ殺されたのか。
手放せと言ったから。
イエスの言葉が無責任と感じるもの。
手放したらとんでもないことが起こると思っているもの。
彼らはこの世界をどんな世界だと思っているのか。
頼りになるものにしがみつかなければ闇に飲み込まれてしまう所。
世界は闇が支配していると思っている。
神は言われた。
光あれ
そのようになった。
神はそれを見て良しと言われた。
どこに闇があるのか。
どこに何かにしがみつかなければならない危険が迫っているのか。
手放せ。
本当の世界が見える。
神が造った世界が見える。
手放せ。
自らの命までも手放したイエス。
手放してどうなったか。
「家を作るものが捨てた石」
家を建てる時に
社会を維持するのに邪魔だと捨てたもの
「その石が隅の親石となる」
捨てられたもの
捨てるを実行したもの
社会から無責任と罵られ、放り出されたもの。
だが、そのものが世界の土台になる。
この世界を支える基礎になる。
最も大切なものになる。
手放せ
人に必要だから。
手放せば世界が見えてくる。
人が計算して予測したようなものでなく
もっと大きく、もっと広い世界が見えてくる。
良いとはこういうことか
と、喜べる世界が見えてくる。
受難節。
キリストの苦難。
手放す。
これを求めれば人々から疎外される。
受難となる
だがそこを通れば、真のものが見えてくる。
通るか、通らぬか。
自らに問う
受難節。

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