4月14日 主日礼拝

4月14日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書 3章1~22節

今日の礼拝で洗礼式が執り行われる。
洗礼者ヨハネの言葉から洗礼とは何かを考えたい。
ヨハネのもとに洗礼を受けるために、人々が押し寄せる
その者たちに向かってヨハネは語る。
自分たちの父をアブラハムだと思うな。
下着を2枚持っているものがいれば、下着を持っていないものに渡せ。
規定以上の税金を取り立てるな。
人々から脅しとるな。
悔い改めろ。
ヨハネは洗礼受けるために必要な事はそういうことだと語る。
ここで何が言われているのか?
父をアブラハムだと思うな。
人々は誇りを持っていた。
自分たちは神に選ばれた民族。
ブラハムの血を受け継ぐものだと。
血を誇りに思う。
逆に自分の血を呪うこともある。
私たちの心に何が起こっているのか?
血に依存をしている。
血に支配されている。
家族は絶対
家族を否定することはできない。
洗礼は新しく生まれること。
私たちは本当は何者なのか
家に支配をされ、
家に依存をして自分があるのか。
私を私にしているものは家なのか?
洗礼は私を私にしているのは家ではない。血ではないそれを私たちに思い出させる。
私たちはどこから来たのか
神から来ている。
神の子。
それが私たち。
なぜ人は必要のないものを持とうとするのか
下着は今自分が着ていれば、それで充分であろう。
なぜ自分が使いもしないものを蓄えるのか
なぜ人は規定以上のお金を取り立てるのか。なぜ人のものを欲しがるのか?
自分以外のものをたくさん持たなければ幸せになれないと思ってしまう。
自分だけでは戦えない。
自分だけでは生きていけない。
そこにある世界観はどういうものか?
世界は怖いところ、
世界は恐ろしい所
世界には悪が満ちている。
だから自分1人では戦えない
たくさんの武器が必要。
たくさんの自分以外のものが不可欠。
世界は神が作った良いところ。
あなたはその神の子ども。
それが聖書が語る世界。
ならばなぜ自分以外のものが必要なのか?
何も必要ではないはず
悔い改める。
反省ではない。
世界を正しく見る。
世界は良いところと信じる
それが悔い改め。
洗礼者ヨハネ
生まれる前に神様から約束を与えられていたもの。
神様から全てを備えられていたもの。
ヨハネだけではない。
皆同じ。
私も同じ。
良い世界で
全てを備えられている。
血ではなく
物ではなく、自分以外のものに頼るのではなく。
自分で生きていく。
自分だけで生きていく。
それが私にはできる。
私は全てを持っている。
洗礼式
新しく生まれる
本当の私と出会う儀式。

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