7月21日 主日礼拝
7月21日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録4章23-31節
世の指導者達は間違っている。
彼らは神を分かっていない。
ペテロ達は語り始める。
あんなに怖がっていたのに。
イエス様が捕らえられた時、逃げ出すほど、恐れていた相手。
ことによるとエルサレムの入城するまでは信頼を寄せていた相手かもしれない。
きっとうちの先生とならうまくやってくれるに違いない。
イエス様と一緒にこの国を守ってくれるに違いない。
そう期待、信じもし、恐れもしていた相手
その者たちを何も恐れず、大胆に間違いを指摘する。
何がペテロ達に起こったのか。
人には世界観がある。
この世界への予測がある。
大体、世界はこのようなものであろうとのスケール感がある。
ああすれば、こうなる。
その法則も経験値から得ている。
人が誰しも持っている世界観。
人は必ず死ぬということ。
これはいつの時代も、どこに行っても変わらない。
それが本当の世界だと思っている。
イエス様は十字架にかかり命を落とされた。
ああすればこうなる。
傷つけられれば命を落とす。
人は必ず死ぬ。
イエス様も死ぬ。
三日目
イエスは甦った。
ペテロ達は何を経験したのか。
世界観が崩壊した。
ああすれば、こうなるが崩れた。
自分の知らない世界がある。
自分の世界観とは全く違う世界がある。
自分の今までいた世界から新しい世界に踏み込んでいくこと。
これを悔い改めと言う。
ああすればこうなる。
それは人の造った世界観。
本当の世界は違った。
神が造った世界はもっと大きく、もっと広い。
ああすれば、こうなるが通用するのは片隅の話。
広い世界から自分のいた場所を眺めてみる。
世界がクリアに見えてくる。
世界がちゃんと見えてくる。
あの人たちは間違っている。
はっきり見える。
あの人たちを恐れなくて良い。
避けて通れないと思っていた「死」はもはや私を拘束していない。
恐ろしいものはない。
解き放たれた心が見るもの。
それが本当の世界。
私の心は
私が見ている世界は
本当か
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