7月28日 主日礼拝

7月28日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

使徒言行録4章32-37節

最初の教会の様子。
そこに集うものは私有財産を持っていなかった。
皆が分かち合い、共有していた。
現代の私たち、そのような生活はできないと考える。
恐らく、古代においてもそれは同じこと。
最初の教会の様子は事実であるかもしれないが、
それよりも大切なことは、私たちの心の確認。
なぜ、財産を放棄できない心になっているのか。
自らがすがっているものをどのような心になれば手放すことが出来るのか。
世界観。
私たちはどのような世界に暮らしていると考えているか。
この世界は怖い。
この世界は不安だ。
ならば、自分を守ってくれるものを手元に置くことは必要なこと。
この世界はいつかはなくなる、
人はいつか必ず死ぬ。
最後は崩壊をする。
それが私たちの現実認識。
だから、私たちは自分を支えてくれるものにすがり依存し、支配されることも厭わない。
私たちの肌感覚の世界観はそうであっても
聖書の世界観は違う。
神がこの世界を良しとされた。
この世界は良い。
この世界は安心、心配のないところ。
それゆえ、財産に縋らなくとも良い。
それを手放しても良いという心が生まれる。
だから最初の教会は依存するもの、支配されるもの、その象徴としての富を持たなかった。
物語としては分かる。
世界は「良い」とする世界観。
それを考える必要性があることも分かる。
ただ、それは思考の中の話、現実の話ではない。
私たちはどこかでそのように受け取り、
聖書の世界と現実の世界を切り分けて生活をしている。
この世界は崩壊へと向かっている。
エントロピーの法則。
世界は「乱雑さ」へと向かい、それは増大している。
物理の人々が私たちの世界を整理してくれた言葉。
世界は乱雑さが増大している方向性に向かい、これは逆行をしない。
時間の性質と同じ。
この世界にある時間とは何か。
時間とは乱雑さの広がりが確認された時に生まれるもの。
時間も空間もエントロピーの法則に従い展開されている。
この現実は崩壊へと向かっている。
だから私たちは頼りになるもの、自分を支えてくれるものを携える。
この世界はエントロピーの支配の中にあるのだから。
確かに私たちの確認できる事象はエントロピーの増大の中にある。
そうであっても次のような事柄はどのように説明できるのか。
ロンドンが空襲を受けた時、市民達は崩壊前より明るく日常を営んだ。
エントロピーが増大しているのなら、市民生活は混乱し秩序は崩壊したはずでないのか。
実際にイギリス政府はそれを危惧し、その対策も検討していた。
エントロピーの法則下では当然の備え。
だが、そうはならなかった。
日本においても震災が起こった後、市民達は助け合う。
自分たちで自分たちの生活を築いていく。
暴動、パニック、組織崩壊は起こらず
自己組織化が起動した。
エントロピーの増大とは異なる
エントロピーの増大に抗う動きがある。
そしてその最たるもの。
なぜ生命は誕生したのか。
エントロピーを別世界に追い払うかのようにしてアミノ酸はタンパク質になり自己組織化を繰り返し遺伝子を作っていく。
エントロピーはどこに行ったのか。
本当に世界はエントロピーが支配をしてるのか。
エントロピーの法則
それは世界の一部分を切り取っただけの世界観なのではないか。
本当の世界はその先に、それを取り囲むようにして大きなもの
まだ人類が気がついていないほどの広大なものがあるのではないか。
この世界は良い。
古代人の神話の絵空事か。
それともリアルへの入り口か。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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