8月18日 主日礼拝

8月18日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

使徒言行録 5章17-42節

イエスの言葉を伝える使徒たち。
イエスを犯罪人とした大祭司始め、時の指導者たちは、その言葉がおもしろくない。
使徒たちを捕らえ牢に入れる。
ところが夜の間に天使によって、彼らは牢の外へと出ていく。
そしてまた、イエスの言葉を神殿で語り始める。
大祭司たちは再び、使徒たちを捕らえ、最高法院の議場へと連行する。
そこで断罪をし、処罰をする目的で。
長老ガマリエルが口を開く。
使徒たちの取り扱いには注意をするように。
つい最近も世の人々を先導し人を集め騒ぎを起こしたものたちがいたが、彼らは自然と消滅をして行った。
人からのものならば、いっときの騒ぎで収まっていく。
だが、もし使徒たちの言動が神からのものであれば誰も止めることはできない。
あなた方はことによると神に逆らうことになるかもしれない。
注意をするように。
議会の人々はガマリエルの言葉を受け入れ、使徒たちを釈放する。
この物語とよく似た出来事を私たちは知っている。
イエスの裁判。
同じように最高法院に連れて行かれ断罪され十字架にかけられ、墓に葬られる。
裁判、閉じ込められる。
そしてイエスは復活し、一方の使徒たちは牢から出てくる。
閉じ込められたところから、出られるはずのないところから出てくる。
同じようなことが繰り返されている。
ルカ福音書、使徒言行録、
何故、繰り返される物語を記したのか。
その意図は何か。
繰り返す。
それが世界のあり方だから。
大切だと思うこと
この世界に必要だと信じること
表し、人に伝える。
だが、それは理解もされずに、批判され、時に激しく否定される。
それで引き下がるのも一つの選択。
だが、それが私の使命
私の塩味、光だと信じるなら、また同じことをする。
結果は同じであろう。
また、批判され、拒絶をされる。
それでもまた繰り返す。
イエスの裁判の時、ピラトが裁判の中止を提案した。
だが、それを誰も聞き入れなかった。
使徒たちの裁判
ガマリエルが提唱する。
それを今度は聞き入れる。
イエスと一緒にいた頃のペテロ。
夜通し湖で網を打っていた。
何度、網を打っても何も取れない。
疲れ果てているペテロに
イエスが「もう一度打て」という。
同じことをしろと言う。
同じことをしたペテロ。
網に入り切らない魚を獲った。
同じことをしても同じ結果ではない。
何かが少しづつ動いている。
何かが変わってきている。
使徒たちは同じことを繰り返す。
理解もされず、拒絶をされる。
それでも同じことを繰り返す。
2000年の後
同じことを繰り返す「教会」が世界中に存在している。
同じことを繰り返す。
徒労とも思え、忍耐もいる。
だが、世界はそこから動き出す。
私が信じているもの。
私の務め。
同じことを繰り返す。
何かが未来に向かって始まっている。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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