9月15日主日礼拝

9月15日主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

使徒言行録 7章17-29節
捕えられたステファノの言葉が続く。
ヨセフの物語を語り、
モーセの物語を語る。
ステファノは何を語っているのか
世界観を語っている。
こういう世界だから、私はこういうことをしているのだ。
ステファノの弁明が続く。
ステファノが語っている世界観とは何か
ヨセフ
夢を解くもの。
ヨセフは夢を語って、家族から拒絶をされた。
エジプトに売られていった
ファラオの家来の夢を解いて
ファラオに注目をされる。
夢を解いて
ファラオに用いられる。
ヨセフは自分の賜物を用いて家族から拒絶をされ、どん底に下り
賜物を用いてエジプトでその位を確立する。
モーセは自分は神様から託された使命、
イスラエルを救うものとしての賜物を持っていると自覚をする。
だが、イスラエルの民はモーセをリーダーだとは認めない。
あなたは地の塩、あなたは世の光
一人ひとりに賜物がある。
それがイエス様が民に向かって語った言葉、
聖書の世界観
ステファノを捉えた者たちの世界観、
祭司長、律法学者の世界観
正しい事は1つだけ。
それに従え。
世界を1つの価値観で覆っていく。
正しいと信じるもので覆ってゆく。
それが世界のあり方
1つの世界観で世界を覆う
バランスの取れた均質化した世界、
私たちも目指している世界観かもしれない。
だが、その世界は平べったい世界
平らな世界
それは動かない世界
止まっている冷たい世界
ヨセフは家族からも誰からも理解をされなくとも自分の賜物、自分の使命を全うした。
モーセも同胞から理解されずとも自分の使命を全うした。
均質化された止まった世界からはみ出しているもの。
あなたは地の塩、あなたは世の光。
あなただけの賜物
人と異なるあなた
私たちは人と異なれば人から批判、非難をされる。それを受けて自らを修正していく。
塩味を薄めていく。やがて砂になっていく。
人から責められれば光を小さくしていく。
やがて光を消してゆく
誰からも叱られない誰からも責められない。
楽な生活が始まる。
だが、それは世界を平らにしていくこと
世界を止めていくこと。
ヨセフは人から理解をされなくとも、自らの使命を全うした。
モーセは人から非難をされても自分の使命に忠実だった。
世界を止めなかった。
私たちは均質化された世界、
それが世界の安寧だと思っている。
凸凹はいけないと思っている。
だが、聖書が示している事は
凸凹は必ずつながっていく。
凸凹があるからつながることができる。
パズルのピースのように1つの大きな世界を築くことができる。
均質化された平面的な世界ではなく
人智を超えた広く立体的な複雑でありながら、複雑であるがゆえに、しっかりとつながっている世界
神はこの世界を良いと言った。
それは止まっている平な世界ではない。
凸凹なヨセフ
凸凹なモーセ
凸凹がそのままある世界。
ステファノは世界観を語る。
凸凹が期待されている世界に自分はいる。
だから私は自分のなすべきことをする。
その結果ステファノは命を落とすことになる。
だが、ステファノが自らの凸凹に忠実であったからこそ、今の教会がある。
世界はつながり動いてきた。
私たちはどういう世界に生きているのか?
どういう世界観を持っているのか、
均質化された世界を目指すのか
止まった世界で満足をしようとしているのか。
動いている、生きている世界
神が良しと言われたその世界
本当の世界とはどういうものなのか。
聖書を読むものはいつでも世界と向き合わされている。
モーセの物語を語る。
ステファノは何を語っているのか
世界観を語っている。
こういう世界だから、私はこういうことをしているのだ。
ステファノの弁明が続く。
ステファノが語っている世界観とは何か
ヨセフ
夢を解くもの。
ヨセフは夢を語って、家族から拒絶をされた。
エジプトに売られていった
ファラオの家来の夢を解いて
ファラオに注目をされる。
夢を解いて
ファラオに用いられる。
ヨセフは自分の賜物を用いて家族から拒絶をされ、どん底に下り
賜物を用いてエジプトでその位を確立する。
モーセは自分は神様から託された使命、
イスラエルを救うものとしての賜物を持っていると自覚をする。
だが、イスラエルの民はモーセをリーダーだとは認めない。
あなたは地の塩、あなたは世の光
一人ひとりに賜物がある。
それがイエス様が民に向かって語った言葉、
聖書の世界観
ステファノを捉えた者たちの世界観、
祭司長、律法学者の世界観
正しい事は1つだけ。
それに従え。
世界を1つの価値観で覆っていく。
正しいと信じるもので覆ってゆく。
それが世界のあり方
1つの世界観で世界を覆う
バランスの取れた均質化した世界、
私たちも目指している世界観かもしれない。
だが、その世界は平べったい世界
平らな世界
それは動かない世界
止まっている冷たい世界
ヨセフは家族からも誰からも理解をされなくとも自分の賜物、自分の使命を全うした。
モーセも同胞から理解されずとも自分の使命を全うした。
均質化された止まった世界からはみ出しているもの。
あなたは地の塩、あなたは世の光。
あなただけの賜物
人と異なるあなた
私たちは人と異なれば人から批判、非難をされる。それを受けて自らを修正していく。
塩味を薄めていく。やがて砂になっていく。
人から責められれば光を小さくしていく。
やがて光を消してゆく
誰からも叱られない誰からも責められない。
楽な生活が始まる。
だが、それは世界を平らにしていくこと
世界を止めていくこと。
ヨセフは人から理解をされなくとも、自らの使命を全うした。
モーセは人から非難をされても自分の使命に忠実だった。
世界を止めなかった。
私たちは均質化された世界、
それが世界の安寧だと思っている。
凸凹はいけないと思っている。
だが、聖書が示している事は
凸凹は必ずつながっていく。
凸凹があるからつながることができる。
パズルのピースのように1つの大きな世界を築くことができる。
均質化された平面的な世界ではなく
人智を超えた広く立体的な複雑でありながら、複雑であるがゆえに、しっかりとつながっている世界
神はこの世界を良いと言った。
それは止まっている平な世界ではない。
凸凹なヨセフ
凸凹なモーセ
凸凹がそのままある世界。
ステファノは世界観を語る。
凸凹が期待されている世界に自分はいる。
だから私は自分のなすべきことをする。
その結果ステファノは命を落とすことになる。
だが、ステファノが自らの凸凹に忠実であったからこそ、今の教会がある。
世界はつながり動いてきた。
私たちはどういう世界に生きているのか?
どういう世界観を持っているのか、
均質化された世界を目指すのか
止まった世界で満足をしようとしているのか。
動いている、生きている世界
神が良しと言われたその世界
本当の世界とはどういうものなのか。
聖書を読むものはいつでも世界と向き合わされている。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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