1月18日 主日礼拝
1月18日 主日礼拝
本多記念教会創立73周年記念礼拝
伊藤大輔牧師
使徒言行録 21章17~26節
本日は本多記念教会創立73周年の記念礼拝。
教会の歴史はおよそ2000年。
その2000年に本多記念教会の歩も加わっている。
教会は2000年間、何をしてきたのか。
教会はどうして2000年の歴史を刻むことができたのか。
パウロがエルサレムに到着する。
この物語から教会の歴史を振り返りたい。
パウロは様々な場所で伝道活動を行ってきた。
多くの異邦人がパウロによって信仰の道に入ることになった。
パウロの名は広く世に伝わっている。
それはパウロについての誤解を生み出す温床にもなっていた。
パウロは異邦人を大切にする。
それ故、ある一部のユダヤ人はパウロはモーセを否定していると思い込んだ。
パウロはモーセを否定してはいない。
イエス・キリスト、この者の言葉、行動を通して律法を見る時、今まで見えなかった律法の内容がはっきりと分かるようになる。
イエス・キリストこそ律法の完成者。
そのパウロの言葉を全く理解できないものがいる。
パウロに賛同するユダヤ人が増えていることから、その状況を危険視し、パウロの命を奪おうとする者達も現れる。
エルサレムの教会のヤコブ達、彼らはなんとかパウロへの誤解を解こうと考えた。
そこで皆が注目をする神殿での「清めの儀式」に参加することを提案する。
一週間、人目のつくところでユダヤ教の儀式を誠実に行う。
これで誤解は解けると考えた。
パウロもこれを引き受ける。
結果、彼らの願いとは裏腹にパウロの命を付け狙う者達に居場所を特定される顛末となった。
捕らえられ、投獄され、ローマへと護送される。
こんなことになるとは思っていなかった。
思い、予定と全く違う結果を招き寄せることになる。
教会の2000年の歩みとはそういう歩み。
思いも寄らないとんでもないことに遭遇をする。
昨日は1月17日。31年前に阪神淡路大震災を私たちは経験した。
崩壊した建築物。
累々と並ぶ亡骸。
なんでこんなことが起こるのか。
思いもよらないことと直面をする。
教会、日本のみならず私たちも日常的に思いもよらない事柄と直面をする。
どうしてこんなことになるのか。
その歴史を繰り返し教会は2000年間、何をしてきたのか。
祈りをしてきた。
祈りとは何か。
祈りは願いを神に押し付けることではない。
不条理、理不尽、怒り、悲しみ
それを神にぶつけること。
問いかけること。
問う時、私たちの身体はどうなっているか。
問う、言葉を相手に投げる。
私たちが期待をしていること、待っていること、次に起こると予想していること。
私たちの身体は「問う」時、どうなっているか。
耳が開いている。
聞こうとしている。
祈りとは何か。
祈りとは聞くこと。
神の言葉を待ち、聞くこと。
それが聞こえたら、それに従う。
それがどんなに勇気を必要とするものであっても、労力が求められるものであっても、神の言葉を聞いたらなら、それを行う。
「悔い改める」
反省ではない。
聞いて、それを自分の身体に落とし込むこと。
パウロ。ダマスコの途上でイエスに出会った。
「あなたはどなたですか」
「お前が大っ嫌いなイエスだ」
パウロ、言葉を聞いた。言葉に突き動かされ生き始めた。
教会は2000年間、何をしてきたのか。
祈りをしてきた。
神の言葉を聞いてきた。
聞いて、神の心に立ち返る、それを繰り返してきた。
永遠の命。尽きることのない力。
祈りから生まれる。
立ち返ることで人は生きるものになる。
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