9月6日 主日礼拝

9月6日 主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師


使徒言行録 28章1~10節

座礁した船から無事に島に辿りつたパウロ。

マルタ島での出来事を記した言葉。

ここに「理」を見つけた者の生き方、「理」とは何かが記されている。

漂着した島の人々の大切にされるパウロ。

焚火の準備をしている時にマムシに絡まれる。

その様子を見て島の住民は「神の裁き」を受けている、人殺しに違いないと思い込む。

この者はやがていなくなる。

「理」を見つけた者。

間違った者、やがていなくなると皆から思われる。

ダーウィン、ライプニッツ、アインシュタイン、誰からも受け入れられず、いずれいなくなると言われていた。

蛇に絡まれたパウロであるが、いつまでたっても倒れる気配がない。

進化論、二進法、相対性理論、なくならない。

すると島の人々は今度は「神だ」と称賛する。

喜ばしい出来事のようにも見える。

だがパウロはここで喜んでいるのか。

人々はパウロを称賛するが、パウロが望んでいたことはそんなことではない。

「理」を分かって欲しかった。

理を見つけた者、その者の周辺で起こること。

否定をされる。

その存在に誰も期待をしていない。

それが一変して誤解の元に称賛をされる。

理の周辺では上げたり下げたり、目まぐるしく色々なことが起こっている。

では「理」を見つけたものは何をしているのか。

パウロは困っている人を助けている。

以前と何も変わらないことをしている。

いつもと同じことをしている。

周囲がどうであろうがパウロは変わらない。

「理」ソーフロシュネー、変わらない、

変わらないと意識をするのではない。

変わらないと努力をするのでもない。

知らないうちに結果、変わらない、でもない。

意識をするでもない、しないでもない。

同じを保つ。

周囲に支配されることなく同じでい続ける。

世界のスジ、「理」

パウロは「理」を見つけただけではない。

パウロの振る舞いはソーフロシュネー、「理」そのもの。

「理」を生きた。

永遠の命。

不老不死ではない。

変わらないを生きること。

理を生きること。

理を生きる。

永遠の命を生きる。

私はそのためにいる。

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