1月24日 礼拝

主日礼拝

伊藤大輔牧師

マタイ福音書4章12−17節

イエス・キリスト

この方は何を伝えようとしたのか。


イエスの宣教開始の言葉は

「悔い改めよ、天の国は近づいた」


この言葉は以前に洗礼者ヨハネも語っている。

ヨハネとイエス、

同じ言葉を語る。


マタイ福音書の「同じ」はもう一つある。

この同じ言葉とつなげて預言者イザヤの言葉も繰り返される。

ヨハネと関連付けられたイザヤの言葉は

「道をまっすぐにせよ」

イエスと関連付けられたイザヤの言葉は

「光が差し込む」

どちらも曲がらないもの。

まっすぐなもの。


では「まっすぐ」の内容とはなんなのか。



ヨハネとイエスの「同じ言葉」の間にある出来事は先週読んだ「荒れ野の誘惑」。

「まっすぐ」と「悪魔の誘惑」。

これを重ねることでイエスの語ろうとしているものが見えてくる。


悪魔の三つの誘惑に共通しているもの。

「自分を大事にしろ」のすすめ。

悪魔の言葉ではない。

正しい普通の言葉。

だがイエスはこれを悪魔の言葉とする。


一番は「自分」ではない。

一番は「神」だ。

ならば「神」とは何か。


これを知りたいところ。

だが聖書は「神」を言葉で説明をしない。

「神」は言語の世界で確認されるものでなく、現実で出会うもの。

現実に出会う「神」への案内をこの物語は語る。


悪魔の誘いに対してイエスがしたこと。

何もしていない。

神を待ち、信頼する。

なんの行動も起こしていない。

何もしない。


悪魔の誘いは「自分で動け」「自分で作りだせ」だった。

イエスは「何もしない」。

自分を捨てている。


自分を主張し、訴えかけることで何が生まれてきたのか。

私たちはもう知っている。

争いを生み出してきた。

いっときのカンフル剤になっても、何も生み出していないことを。


自分を捨てる。

それは消極的行為ではない。

自分を捨てるは、引き受ける行為。

愛する姿勢。


ヨハネの言葉と同じ言葉をイエスは語った。

イエスはヨハネを引き受けた。

ヨハネのみならず、世界を全て引き受けた。

選り好みはしない。

全部を引き受ける。

「悪」を

「罪」を引き受ける。

「まっすぐ」全てと向き合う。

「まっすぐ」「愛する」

そこで人は神と出会う。


イエスは何を伝えようとしたのか。

世界を造りだすものは主義主張か。

愛か。

私たちに聞いている。


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