9月5日 礼拝

9月5日 礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 8章18−22節

イエス様の前に現れた二人の弟子。
イエス様は一人に「人の子には枕するところもない」と言い
もう一人には「父の葬儀より、私に従え」と言う。
枕するところがない。
家がない。
財産がない、ということ。
父の葬儀に行くな。
家族を大事にしなくて良いと聞こえる。
私たちにとって財産、富は大切なもの。
家族は大事なもの。
それを「大切にしなくていい」と言うイエス様にはとてもじゃないが着いていく気になれない。
イエス様は本当に富や家族を否定してるのか。
この場面は山上の説教の直後のもの。
山上の説教との繋がりで読まなければイエス様のお気持ちを汲み取ることにはならない。
あなたは地の塩、世の光。
私たちには一人ひとり、掛け替えのない賜物がある。
ありながら、人はそれをすぐに見失う。
イエス様が山上の説教で語られたこと。
人の子には財産はない。
富。
それに縛られていると自分を、光を塩味を見失う。
家族。
これに心を奪われていると自分が分からなくなる。
イエス様の言葉は「世の常識を捨てろ」との勧めではない。
人が自分を整えるための準備。
心構えを語っている。
富に心を奪われな。
家族に心を乗っ取られるな。
しかし、それはどうすればできるのか。
この直前、イエス様は病気のものを癒された。
言葉で、触れて、癒された。
「言葉」「触れる」。
神様が世界を造るときも「言葉」で造り
「触れ」て人を造られた。
イエス様の癒しは世界を神様が造られた時と同じ。
世界は何も変わっていない。
それを伝えたのがイエス様の癒しの行為。
世界は何も変わっていない。
世界は常に神の守りのうちにある。
ならば富のあるなしがどうして心配なのか。
あってもなくても神の守りの中にある。
どうして家族が心配なのか。
心配をしても、しなくても家族は神の守りに中にある。
「富」「家族」と私は切り離せる。
「富」「家族」に心を奪われる必要はない。
奪われない自由な心。
その心でなければ見つけられない。
自由な心は見つけられる。
私の塩、光を見つけられる。
私の心は自由か。
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