「愛は多くの罪を覆う」

5月28日 森下滋神学生

ルツ記 3章1-18節
ペトロの手紙Ⅰ 4章7-11節

いい話、それはひとえに聞き手が共感出来る話であると言えよう。

しかしいい話として簡単に受容した話の真意は中々定着しない事も多い。

例えばルツ記を用いて嫁と姑の問題に触れ、

嫁は姑に従い尽くすべしと教えたり理解する事はナンセンスである。

ルツ記は教える。

いい話や好きな御言葉だけでは世界も自分も何ら変わる事は出来ないのだ。


 ナオミはルツにボアズの床に入る事を提案する。

そしてルツは承知して実行する。

性的なイメージが喚起される。

このイメージを排除すると真意は見えない。

床に入り足のところをまくったルツは、震えて起きたボアズによって問われる。

「お前は誰だ」と。

ルツは答える。

「私を購ってくださる人よ、私はあなたのはしためです。あなたの翼で私を覆って下さい」と。

この時、神の霊はボアズに臨み、ボアズはルツを祝福し、買い戻しを承諾する。

虚ろになって祖国へ戻ったナオミも、ボアズか送った6杯の大麦袋により神の恵みへ再び招かれた。

しかしナオミはルツに告げる。

成り行きがはっきりするまで自重しなさいと。


万物の終わりはもう既に近くまで来た。

だから私達は互いに愛し合い奉仕し合う必要がある。

愛は多くの罪を覆うのだから。

私達はただ賜物を受け取れば良い。

しかしその事は全てイエス・キリストを通して神が栄光を受けられるためである。

私達の所有物ではない。


ボアズの翼は神の翼であった。

しかしボアズは恐れた。

神の計画を妨げるやもしれぬ者はまだいるのだ。

交渉を前にボアズは主に頼った。

主は生きておられる。


万物の終わりのこの時、私たちの助け手は誰か。

ルツとボアズの子孫である救い主イエス・キリストである。

しかし神はボアズのような実際の人間をも用いて助け手を遣わす。

それをどうやって知るのか?

聖霊による識別しか方法はない。

聖霊によらないと誰もイエスを主と告白する事は出来ない。

聖霊によって私達の罪を覆う主イエスの愛の翼を求めよう。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000