「わたしを取り戻す」

5月21日

創世記20章1-17節  

アブラハムは困難に直面する。

見知らぬ土地、自分の命を大切にしてくれる者などいない所。

アブラハムは自分を守るため自らを偽る。

サラの妻であるという事実を偽りサラの兄だとする。

アブラハムの計画は成功し、サラは王に迎え入れられる。

ところが神が夢に現れ王にサラがアブラハムの妻であることを告げ、彼女をアブラハムに返すよう命令する。

驚いた王はその言葉に従い、アブラハムは栄える。

 

この話は何を語ろうとしているのか。

  

アブラハムは自分のアイデンティティーを変えようとする。

本当のアイデンティティーでは世界に通用しないと思い込む。  


人は自らのアイデンティティーに不満を覚える時がある。

これではダメだ。

私ではダメだ。

出来ることなら自分を変えたい。

やり直したい。

アブラハムに至ってはアイデンティティーをすり替えることまでする。


本当に私はダメなのか。

神は王にサラを返せと言う。

アブラハムのすり替えたアイデンティティーを元に戻す。

私はダメなのか。

神はそのままで良いと言う。

そのままで大丈夫だと言う。


この物語は創世記に登場するのは二回目になる。

アブラハムの物語は始まってすぐアブラハムはエジプトでも同じことをしている。

創世記はなぜ同じような物語を二回も記すのか。

おそらく、アブラハムが、人間が、そういう者だからなのでしょう。

何度でも同じことをする。

同じ間違いを何度もする。

そして、同じ間違いを何度もする人間を、神は何度でも助け出す。

何度でも、元の私を取り返してくださる。


なぜ、神は何度も私たちを守るのか。

アブラハムがアイデンティティーをすり替える一回目の話の直前で、神はアブラハムに約束する。

アブラハムが望んでも望みきれない大きな恵みを与えると。

そして、二回目のすり替えの話の直後、神の約束は成就し始める。

人の不安のすぐそばで神の約束は待っている。


 神はなぜ何度も人を元に戻すのか。

神の約束を進めるため。

人が自らの力で進もうとして迷い込んでも、神は元に戻す。

他に行く必要はない。

他の誰かになる必要はない。

ここに、この時に、このわたしに

溢れる神の恵みは備えられている。  

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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