12月5日 主日礼拝

12月5日 主日礼拝 待降節第二主日
礼拝説教
伊藤大輔牧師

ルカによる福音書 2章8−15節

クリスマス
イエス様の誕生物語は私たちに一番大切なものは何かを聞いてくる。
イエス様は旅の途中で生まれた。
祝福てくれる親族
守ってくれる共同体
そのようなものが何もないところでイエス様は生まれた。
何もない。
孤独。
私たちは「かわいそう」と思ってしまう。
イエス様が眠っている場所。
飼い葉桶の中。
動物が餌を食べるための道具。
食事のためのお皿。
お皿に中に置かれたものは食べられるためのもの。
イエス様はご飯として生まれた。
食べられるために生まれた。
人に命を奪われる。
私たちは「かわいそう」と思ってします。
どうして私たちは「かわいそう」と思うのか。
私たにひとつの世界観があるから。
人の幸せは仲間に恵まれること。
助けてくれる人が周りに大勢いること。
自分の命を自分のために使うこと。
これらが私たちの幸福の条件だと思っている。
私たちは大切な仲間を失いたくないと考える。
命を奪われたくないと考える。
この時、私たちの心はどうなっているのか。
仲間、命に執着している。
それを握りしめようとしている。
私たちから離れていってはいけない、と思っている。
私の「心」は仲間、命のところにある。
仲間、命に「心」が奪われている。
心が支配されている。
私の心は自由ではない。
イエス様は誰からも守られずに生まれてきた。
命はいつ失ってもかまわない状況で生まれてきた。
何にも執着しないで生まれてきた。
自由と共に生まれてきた。
イエス様は本当にかわいそうなのか。
何かにすがりつかないと生きていけないと思い込んでいる私たちとどちらがかわいそうなのか。
夜、羊の番をしていた羊飼。
天使からメシアの誕生の知らせを聞く。
彼らにとって「羊」は財産。
自分の生活、命を支えてくれる大切な富。
それにすがり付いている人の心。
それは「夜」だと聖書は語る。
天使の言葉を聞いて彼らはそれを確かめようと出かけて行く。
羊を残して出かけて行く。
私が大切だと思っていたもの。
私が握りしめていなければならないと思っていたもの。
それらを置いて出かけていく。
私たちにとって何が一番、大切なのか。
私以外のもの。
そこに心が奪われれば私たちの心はフラフラと定まらなくなる。
私以外のものはあってもなくてもどちらでもいい。
仲間も、富も、命も、私が守るものではない。
それらは私を守ってくれるものでもない。
私を支配しているもの。
何が一番大切なのか。
私を守っているものがある。
何があっても守っていれるものがある。
神がいる。
信じる。
クリスマスの物語は私たちに何が一番大切なのかを聞いている。
私の心は不自由なのか自由なのか聞いている。
聖書の問いに答える今年のクリスマスでありたい。
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