「あなたと同じ」

2017年6月11日 三位一体主日

フィリピの信徒への手紙2章1ー11節

先週はペンテコステ。

今週は「三位一体主日」。

聖霊が降り新しい時の始まりを覚える週。

教会の始り、教会の使命を覚える時。


パウロは教会に願いと語る。

一つになってほしい、と。

パウロは期待している、信じている。

一つになれると。

それは教会というある集団にだけ期待されているものではない。

神の造ったこの世界は一つになれる。

どのようにしてか。


パウロは「従順」をそこにあげる。

神に、キリストに「従順」。

それはどういうことなのか。  


パウロはユダヤ教の熱心な神学者。

神に従順であらねばと思っていた。

彼は裁いていた。

教会は間違っていると。

キリスト者はいらないと。

そして同時に苦しんでいた。

律法を守ろうとしてもそれと相反する自分のいることを。

「これでなければならない」「こちらでなければならない」。


フィリピの教会へ手紙を書いている時のパウロには「どちらでもいい」との思いに至っている。

「こちらでなかればならない」から「どちらでもいい」。

パウロはキリストに従順であれ、と言う。

そのキリストとは、「神の身分でありながら、それに固執しなかったお方」。


「こちらでなければならない」

それは固執、執着、自分の力で自らを救おうと考える傲慢。

信仰ではない。

神なき世界で生きるものと変わらない。

律法に執着しているから律法が守れない。

神様が守ってくださる。

それが信じられれば、何かに執着することは必要ない。

心配のない心で律法を読めば、そこにあるのは自ずと実行できることばかり。

「こちらか」「あちらか」ではない。

神がこの世界を治めていると信じるなら「どちらでもいい」と委ねられるはず。

「利己心」「虚栄心」を捨てろとパウロは言う。

これも執着、固執が生み出す心の動き。


固執をしなかった主イエス。

主イエスに、神に従順に生きる。

固執を捨てた時、本当に恵まれている私に出会う。

喜びが私を、世界を包む。

世界は一つになれる。

世界にはその力がある。

それを信じ、その力を世に表すのが、聖霊を受けた教会の使命。  

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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