果たされる約束

2017年6月18日

創世記21章1ー8節

信じること。

それが求められている。

教会の話ではない。

宗教の話でもない。

社会には、世界には「信じること」が必要になっている。

社会は信じていない。

世界を、隣人を信じていない。

信じられないから、どこかで誰かが悪巧みをしていると考える。

それを事前に防ごう。監視を怠りなくしよう。

世界から「信じる」が失われつつある。

世界には「信じる」が必要になっている。

では「信じる」とはどういうことか。


アブラハムとサラは神の言葉を聞いて見ず知らずの地に旅立つ。

神は告げた。

「子孫が星の数ほどになる」

「土地を与える」。

アブラハムは七十を過ぎている旅人。

神の言葉と真逆にいるもの。

それでも神の言葉によって歩み続ける。


使徒パウロはアブラハムに信仰を見る。

アブラハムの何が信仰なのか。


サラにイサクが生まれる。

神の約束が成就する。

神の言葉は実現した。

確かに、実現する言葉なら信じたい。

しかし、私たちは聞いいたことがない。

神の言葉を、神の約束を。

私たちは何を信じるのか。


振り返ればアブラハムは神の言葉を信じて素直に歩んできたものではない。

約束の子供を生む妻サラを二度も、自らの身を守るために権力者に差し出している。

サラではなく側女ハガルとの間に子供を作ってもいる。

神の約束を受け入れてはいない。

アブラハムのどこに信仰があるのか。

信仰はアブラハムにその手本があるのではない。

アブラハム物語に信仰の原型がある。

アブラハムに関わった神に信仰の目標がある。

その神はどのように振る舞っていたか。


妻を権力者に差し出した後、神はサラをアブラハムの元に連れ戻す。

ハガルとの間に出来たイシマエルも守ると言う。

神はアブラハムに対して何をしてきたのか。

味方になっていた。

アブラハムが何をしようが彼を見捨てることはしなかった。

神は常にアブラハムの味方だった。


信じられない。

隣人が、世界が信じられない。

誰も私の仲間ではない。

なぜ世界から「信じる」が失われていったのか。

私は孤独だ。

その現実感が「信じる」を世界から奪って行った。

私たちは信じる。

孤独ではない。

味方がいる。

神が味方だ。

不信、疑い、恐怖に心凍らせながら歩むのではない。

平安と希望を持って歩む。

光を取り戻す。

信じる

その思いが真の世界を作り出す。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

0コメント

  • 1000 / 1000