「誰も見捨てない」

  

2017年10月1日

使徒言行録2章1-13節

愛とは何か。

キリスト教は「愛」を大切な言葉としている。

そして、愛の難しさ、愛の困難さも自覚している。

しかし、愛はそんなに難しいのか。

そもそも「愛」とはなんなのか。


ユダを失ったイエスの弟子たち。

ユダと同じ様なことをしているのに自分たちは生きている。

これで良いのか。


ペテロは大胆な提案をする。

旧約聖書と結びつけ、ユダの死はすでに決まっていたこと。

神が定めたこと、と解き明かす。

そしてユダの補充を始める。

クジで一人が選ばれた。

神は弟子たちを赦しているのか。


五旬祭の朝、

一同が集まっていると激しい風が吹いてきて聖霊が下り、

弟子たちは他の国の言葉で語りだす。

エルサレムには他の国で暮らしていた人々が終末を期待して帰って来ていた。

彼らが、弟子たちが語っている言葉を聞く。

それは故郷の言葉。

だがその故郷は懐かしむ麗しの都ではない。

先祖が捕虜として連れて行かれたところ。

神に逆らい、神の裁きとして連行されたところ。

故郷、それは罪の結果の地。

そしてユダヤ教によればそえはけがれた地、神の祝福からもれた場所。

そこの言葉。

汚れた言葉。

神の前では、エルサレムでは使ってはならない言葉。


弟子たちは語りだす。

汚れた言葉で語りだす。

汚れた言葉で神の栄光を語りだす。

言葉は汚れているのか。

汚れてはいない。

戦争で負けた神の裁きは続いているのか。

終わっている。

イエスを裏切った弟子たちは赦されているのか。

神は弟子たちを用いる。

これまでになかった使命を与える。

神は弟子たちを必要としている。

赦されている。


愛とは何か。

新しさを与えている。

過去に何があっても、神は次の仕事を与えている。

次の仕事。

敵と思うものに語りかける。

彼らの言葉で語りかける。

こちらに来い、ではない。

こちらから行く。

こちらの言葉を捨てる。


一人子を捨てる。


自らにしがみつかない新しさが愛を表していく。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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