「何をしてきたのか」

2017年10月8日

使徒言行録2章14-42節

もう間に合わない。

手遅れ。

取り戻すことができない。

私たちの心に重くのしかかるもの。

もう何もすることがない。

許されない。


過ぎていってしまったもの、それはただ諦めるしかないのか。


主イエスの弟子たちは主を見捨てた。

見捨てた結果、十字架にかかった。

取り返しのつかないことをした。

心が締め付けられ、くず折れてもおかしくない状態から50日目、

弟子たちは主イエスについて堂々と語りだす。

親しみを持って語りだす。

何が起こったのか。


ペテロは旧約聖書を用いて説明する。

今日、これが起こることはすでに語られていた、と。


手遅れ。

取り返しがつかない。

人は絶望する。

主を裏切り、殺してしまった。

罪の意識に覆われる。

その失意の中で弟子たちは見出した。

これを神は知っていた。

知っていて、これを受け入れていた。


取り返しがつかない。

自分はもう関われない。

関係がなくなってしまった。

外へ放り出された。

神は知っていた。

神の中で起こっている。

わたしは外に放り出されてはいない。


神のもっとも愛する一人子を殺しても、それを知り、神の中でそれは起こった。

神の御手の中にある。


手遅れ。

取り戻せない。

それはわたしの勝手な判断。

この世界に神の御手の外にあるものは何一つない。

ならば、わたしに手遅れも、取り戻せないものは何もない。


弟子たちは堂々と主イエスについて語り出す。

裏切ってしまってあわせる顔もない方を喜んで語り出す。

図々しいとも思えることを始める。

神の御手のうちにあるという確信。

主イエスと神と切り離されることはないとの喜び。

わたしたちに絶望はない。

希望のうちにいつでも包まれている。

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