「大切な畏れ」

 2017年10月15日

使徒言行録2章43-47節

集まっている人々に畏れが生じた。

今日の聖書の最初の言葉。

使徒言行録、ルカ福音書。この二つの書物の作者は同じ者だと考えられている。

この二つの書物で「畏れ」と記されるとき、

それは神の現臨を人が経験した時だ、との指摘がある。

神がいる。

ここまでの物語で登場人物たちは、どこに神の現臨を感じたのか。


使徒言行録は、復活の主イエスと弟子たちが一緒にいるところから始まる。

その主が天に引き上げられて行く。

天を見上げている弟子たちに天使が語る。

「主はまた、同じようにあなた達の前に現れる」と。

ユダを失った使徒たち、彼らは欠員の補充を行う。

ペンテコステの朝、

使徒たちはイスラエルの人々が捕虜として連行された国々の言葉で語り出す。

その状況にあっけにとられている人々に対してペテロは語り出す。

「わたし達が一番大切だと思っていたダビデ王、この王はイエスの個とを知っていた。

イエスを頼りにし、イエスに守られていた。

建国の王が大切にしていたもの、国の礎であるイエス。

それをあなた方は殺してしまった」。

それを聞いて恐ろしくなった者たちはペテロに尋ねる。

「どうしたらいいのか」。

ペテロは答える。

「悔い改めて洗礼を受けなさい」。

畏れはこの直後に生まれたこと。

ここまで、何が起こっていたのか。


主イエスはまたやってくる。

十二人でまた始める。

敗戦、罪の結果、背負わされた言葉、捨てなければならない言葉、

その言葉が用いられる。

悔い改めの洗礼。

何が共通して語られていたのか。


やりなおせる。


何度でも、いつでもやりなおせる。

手遅れはない。

いつでも今から始められる。

終わりはない。

それを知ったとき、人々の中に畏れが生じた。

これが神の業なのか。

この世にはないものとの直面。

畏れ。

まだできる

まだ挑める

何度でも。

負けはない。

神が与えてくれた世界。

わたしたちは、今もその世界にいる。


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