「はじめての土地」

2017年10月29日

創世記23章1-20節  

サラが亡くなった。

アブラハムは嘆き悲しみサラのために墓の準備をしようとする。

アブラハムはヘトの人々に墓の土地の提供を願い出る。

ヘトの人々は快くアブラハムに土地の提供を申し出る。

アブラハムは寄留のもの、

その者が土地を得るのは地元の人にとっては抵抗感がない事柄ではない。

それを見越してかアブラハムは土地の購入を提案し会衆の面前で購入の手続きを行う。

礼節正しいアブラハム。

この物語はそれだけを伝えているのか。


「土地」はこの物語で重要なテーマ。  

アブラハムは神様から「子孫の繁栄」と「土地取得」の約束を受けて旅に出た。

星の数ほどの子孫、見渡す限りの大地、それが神の約束。

ならばヘト人からの土地の提供を「神の約束の成就」と考えても良かったのではないか。

なぜこれを買わなければならないものと考えたのか。


アブラハムはかつて失敗をしている。

「子孫の繁栄」を血縁と思い込み、側女ハガルとの間にイシマエルを設けた。

だが、神はイシマエルが子孫繁栄の者ではないと告げる。

神の予定と、人の判断は違う。

アブラハムの体験。

ヘト人からの土地の提供。

神の約束の「土地」のことではないと考えた。

どこにその判断の基準があったのか。 


小さいから。

墓、洞穴、その提供は感謝すべき申し出。

だが神の約束とは違う。

神の約束は見渡す限りの大地。

圧倒的スケールの約束。

墓穴は人の申し出。

だから購入。


神の約束、予定、恵、それはいつでも大きい。

私たちは祈りを整えようとする。

御心を求めようと祈りを選別する。

しかしそれは神に出来るものと出来ないものがるとの考え。

失礼な態度。

祈りに吟味は必要。

ただそれは事柄の選別ではない。

大きさの吟味。

私の願いは小さくないか。

全能の神に捧げる祈りとして小さくないか。

ありったけ。

それでも神には小さい。


もっと大きく。


御心を求める。 

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