1月30日 主日礼拝

1月30日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書10章40ー11章1節

正しい人を正しい人と受け入れる人は正しい人と同じ報いを受ける。
主イエスが弟子たちを宣教に派遣する際に最後に語った言葉。
正しい人を受け入れる人は正しい人と同じだ、ということだろう。
そして、こう言われたのには理由がある。
現実は正しい人が正しい人と扱われていない。
私たちは正しい人と正しい人として受け入れているのか。
できると思っている。
行っていると思っている。
主イエスが「正しい人」を受け入れていないと批判している人も
「自分は正しい人を受け入れている」と思っているはず。
「できる」「思っている」では実行している根拠にはならない。
どうすれば正しい人を見分け、受け入れることができるのか。
すでに主イエスから言われている。
「あなたは地の塩、世の光」
私たちが自分をしっかり保てる。
心を奪われずに、支配されずに自分に心を定められれば、私の塩、光に気が付くことができる。
何故、正しい人を見分けることが出来なくなるのか。
何故、神が分からなくなるのか。
心が曇るから。
心が奪われるから。
富、他者、予定、計画
自分以外のところに心を持っていかれると正義が分からなくなる。
神が見えなくなる。
主イエスは弟子たちを宣教に派遣する際にこのことを告げた。
この発言の前提になっているもの。
正しい人を受け入れるものがすでにいる、ということ。
宣教は無知なものに新しい情報を伝えることだと考えるものがいる。
だが、この主イエスの宣教の言葉は
「出会って来い」になっている。
すでにいる。
その者と会って来い。
弟子たちを派遣するにあたって最初に主イエスが言ったのは「サマリアに行くな失われたイスラエルの民の所に行け」だった。
もちろん譬えだ。
心奪われ自分を見失っている者たちがいる。
その者たちのところに行っても始まらない。
行かなくてもいい。
自分の塩、光をも守っている者たちがいる。
戦っている者たちがいる。
頑張っている者たちがいる。
その者たちと会って喜べ。
その者たちに告げよ。
幸いなるかな、と。
神はあなたを喜んでいる、と。
天の国は近づいた。
主イエスが弟子たちに「告げよ」と渡した言葉。
心を定めた人々と出会い、喜ぶ。
それが天の国。
近づいている。
私が心を定めて生きていれば出会える。
会って喜べる。
正しい人は正しい人と会える。
正しい人と会える私か。
私は正しい人か。
私の心のある所がその答えを持っている。
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