1月23日 主日礼拝

1月23日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書10章34ー39節

あなたは地の塩、世の光。
私に与えられた神様からの使命。
それを私は簡単に見失う。
人に心を奪われるから。
自分の過去に、未来に心奪われるから。
心が定まらないから。
イエス様は私たちの心の奥底まで掘り込んで来る。
何故、心が定まらないのか。
家族に引っ張られているからだという。
イエス様は剣を持ってきたという。
家族を争わせるために来たという。
家族を崩壊させることが目的ではない。
私たちの塩、光、
神様からの使命
神の言葉と私を出会わせるために剣を持ってきた。
私たちは家族を愛している。
大切に思っている。
それはいつしか家族への依存、執着となっている。
家族なしでは生きられない、と家族にしがみついている。
心が家族に乗っ取られている。
あなたが、あなたの使命を知りたければ、神の言葉を聞きたければ、断ち切れ。
家族は家族、私は私、断ち切らなければ自分が見えない。
家族と一緒に暮らし、団欒していい。
だが、心を家族と言えども他者に明け渡せば、自分が見えなくなる。
それを忘れれば家族は崩壊する。
家族に依存することが家族を守ることではない。
十字架を背負えともイエス様は言う。
自分の失敗、罪を公にすること。
難しいと私は言う。
何故、難しいと言うのか。
人の評価、評判が気になるから。
人が自分から離れていってしまうから。
そう思う、私の心は人の所に行っている。
人に心が奪われている。
罪は罪。
失敗は失敗。
それを私と受け止める。
人から非難されても、「そりゃそうだ」と受け止める。
自分を飾らない。
人を意識して、自分に蓋をしたり演出したりしない。
そうすれば心は自分にある。
命を得ようとすればそれを失い、命を失うものはそれを得る。
命が大切。
それは命へ、自分へ執着を始めること。
命がなければ何も始まらない。
命を守ろう。
命に危害を与えそうな人を気にし、自分の振る舞い、過去、未来へ気配りが始まる。
人に、周囲に執着が始まる。
心が自分から離れていく。
命を自分でなんとかできるのか。
何もできない。
何もできないものが自分のものか。
命は誰のものか。
命は神のもの。
ならば、私が手出しするものではない。
命のことも気にするな。
命にも執着をするな。
そうすれば見えてくる。
自分の使命が。
自分の「塩味」「光」が見えてくる。
家族
自分の罪を隠すこと
私たちが大切だと思って取り組んでいること。
それを捨てろ。
一番大切な自分の使命を見つけるために。
そこに私の命がある。
すべてがある。
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