2月6日 主日礼拝

2月6日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書11章2ー19節

物事をちゃんと見る。
物の本質を見る。
どうしたらできるのか。
2000年間、世界中に広がった教会の基礎となったイエス・キリストは当時の人々に激しく拒絶された。
その先駆けの洗礼者・ヨハネも同様の扱いを受ける。
時代を超えて世界に通じるものを人は見分けることができない。
どうしたら物事をちゃんと見ることができるのか。
「女から生まれたものでヨハネより偉大なものはいない。
ただ、天の国で最も小さいものでもヨハネより偉大である。」
天の国ではどんなに立派な人々がひしめいているのか。
天の国で小さい者にも劣る女から生まれたヨハネ
女から生まれた、私たち誰しもがそう。
天の国にいるのは「女から生まれたもの」ではないものがいるということ。
ならばどのようなものが天の国にはいるのか。
ヨハネ福音書にはニコデモと主イエスの対話が記されている。
新しく生まれなければ神の国に入ることができないとニコデモは告げらえる。
霊から生まれなければならないと。
霊、風、どこから来て、どこに行くのか知らない。
霊から生まれたものも同様である、と言われる。
私たちは知っている。
自分がどこから来て、どこに行くのか。
母から生まれ、死へと行くと
私たちは皆、弁えている。
それは絶対に揺るぎないことだと私ちは信じて疑わない。
主イエスは「剣を持って来た」と言う。
親子、家族の間を剣で切ると言われる。
私の「始め」と「終わり」、それは決まっている。
決められたところに私はいる。
それは支配の中にいるということ。
主イエスが剣で切るのは親子関係ではない。
支配を切る。
絶対の支配などありはしない。
切れない支配などない。
人は支配の中にいるものではない。
それを思い出せ。
支配の中にいない。
支配に頼らなくても生きていけると決断するもの。
それを信仰者と言う。
天の国には誰がいるのか。
信じているものがいる。
人の作ったものに怯えず、
人が作り出したものに心奪われないもの
信じているものがいる。
心奪われていない
自由な心を持っているもの
その心が物事をちゃんと見つめられる
物の本質を見極められる。
それは一番大切なものを見分る者になること。
一番大切なものを私たちは知っているのか。
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