「必ず現れる」
2017年11月19日
使徒言行録4章1節~22節
教会に通うもの。
信仰を持つもの。
そのわたしたちは何を大切にしなければならないのか。
ペテロとヨハネは、国の中心的指導者 たちの前で尋問を受ける。
「美しの門」の傍らの毎日、うずくまっていた足の不自由な物乞い。
このものを癒やしたことで取調べを受けている。
「何の権威で」「誰の名によって」そのことを行ったのか。
ペテロは答える。
「イエス・キリストの名によって」。
その名は、彼らが数ヶ月前に葬ったものの名。
皆で罪人として、断罪したものの名。
その名にこのような力があるとは。
この少し前、
エルサレムではガリラヤ出の者たちが他国の言葉を語り出し神を讃美する出来事が起こっていた。
あっけにとられている人々に対して、この時もペテロが告げている。
「神の約束が成就している。そしてその神のメシアが、あなた方が殺したイエスだ」と。
神の業は人を驚かせる。
予期せぬこと。
信じられないこと。
それ故、はじめから受け入れることが出来ぬもの。
拒絶したくなるもの。
エルサレムの指導者たちは、どうしていいか分からず拒絶をした。
ペテロたちを脅し、二度とその名を口にするなと言う。
一方、この出来事を目の当たりにした多くの人々は自分たちはどうしたらいいかのと問いかける。
「悔い改めよ」ペテロが伝えた答え。
これはペテロの経験。
イエスを見捨てて逃げ出したペテロ。
そのペテロに復活の主が現れ親しくのぞんでくださった。
わたしたちは何を大切にしなければならないのか。
「悔い改めること」。
だが、それは自分のしでかしたことを後悔して反省することではない。
ペテロも経験した、人々も経験した、
神の業は、私たちの思いをはるかに超えてすばらしい。
その喜びの前で、自分はなんと小さいものかと、呆れ笑ってしまう。
その悔い改めが求められている。
指導者に脅されたペテロは言う。
「神に従うのと、あなた方に従うのとどちらが正しいか」。
喜びの悔い改めは、真実を果たす力を人に宿す。
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