5月15日 主日礼拝

5月15日(日)主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書13章18-23節

種まきの譬えが続く。
一つの譬えの分量としては多いもの。
それだけ、この譬えから聞かなければならないものがあるのだろう。
前回はまかれた土地について考えた。
土地、私たちの心
それが頑なだと種を成長させることができない。
私に貼り付いた私以外のもの。
それに気がつき、剥がしていくことの必要性を学んだ。
今回は種に注目したい。
神様からの一人ひとりに与えられた賜物。
神様からのプレゼント。
この喩えで語られている種は土地がどんな所であろうとまかれている。
悪くても、良くてもまかれている。
相手にお構いなくまかれている。
すなはち、私たちは必ず種をいただいている。
これは神の姿勢、世界観が語られている。
神は変わらない。
預言者、そして主イエス。
彼らは何を見たのか。
聖書の始まりに世界の根元を記した物語がある。
創造物語、カインとアベル。
神がカインを省みない不条理の物語。
私たちはここに原因を求める。
公平な神が贔屓をするはずがない。
カインはきっと何か悪いことをしたのだと。
だがそれは私たちの世界での道理を探す行為。
神は私たちの世界を超えている。
私たちの道理が当てはまる方ではない。
不条理。
人はこれと直面する。
神は変わらない。
私たちは不条理と経験せざるをえない。
この時、人は、カインはどうすれば良いのか。
引き受けるしかない。
ああ、そうですか、と引き受けるしかない。
預言者は変わらない神の姿勢と出会い、それを言葉にした。
主イエスは変わらない神の姿勢の前で十字架にかかった。
神は始めから終わりまで、何も変わらない。
その変わらない神と付き合う。
そこには忍耐も必要だろう。
パウロは忍耐は練達を、練達は希望を生むと言ってきた。
始めは忍耐であっても人は気が付く。
私が望んでいたものより、もっと大きなものが私に与えられようとしていたことに。
十字架にかかった主イエス。
永遠の命があることを表した。
種はまかれている。
誰にでも、いつでもまかれている。
変わらずまかれている。
何かが貼り付いた心ではそれを知ることはできない。
積み上げて、多くを持つことが人の目的と考えることに聖書は警鐘を鳴らす。
バベルの塔は積み上げることの虚しさを語っている。
人がするべきことは積み上げることではない。
削ること。
削り落としていくこと。
本当の私の心を取り戻す。
その時、私に与えられた種は100倍にも膨れ上がる。
変わらずまかれている。
今もまかれている。
何があってもまかれる。
神は変わらない。
聞く耳のある者は聞きなさい、主イエスは語る。
私の耳は聞く耳か。
 
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