5月22日 主日礼拝

5月22日(日)主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書13章24-30節

イエス様の譬え話が続く。
麦畑を譬えて天国を語る。
良い種をまいたはずの畑に毒麦が生えてきた。
僕たちは早く処分しようとするが、主人は育つまで待て、と言う。
刈り入れの時に毒麦を集め燃やし、良い麦は蔵に収めろと命じる。
何が譬えられているのか。
マタイ福音書に記された主イエスは一貫している。
神から与えられた自分の賜物を磨け。
ただ、何が自分に与えられたものか、人はすぐに見えなくなる。
人の言葉に、
富に、
家族に心奪われて見えなくなる。
自分以外のものが自分に貼りついてくる。
自分と自分以外のものの区別
人はこれを見分けられないでいる。
麦畑は私たちが過ごしている世界。
そこには良いものも、悪いものもいる。
私たちは自分と意見の合わないもの。
明確に「悪」だと判断のできるのもについては
それを退治しよう、処理しようと考える。
それを少しでも早く、確実に。
それが世界のため、正義だと考える。
贖罪という言葉がある。
キリスト教が大切にしている言葉。
私の罪を主イエスが代わって背負ってくれたと。
贖罪から、私たちは何を学んでいるのか。
自分の罪、悪、これは自らでは負いきれない。
自分では罪、悪の決着は付けられない。
ならばどういうことなのか。
「罪」「悪」
これは人が扱うものではない。
これは神が扱う。
神のもの。
それが十字架として表された。
毒麦がある。
悪がある。
贖罪を信じているなら、毒麦の扱い方を指示する主人の意図も分かるはず。
悪。
それは神の領分のもの。
手を出すな。
放っておけ。
悪が目に入る。
悪が気になる。
何が起こるのか。
私の意識がいつもそこにへばりついてしまう。
私の心が知らない間に乗っ取られてしまっている。
自分の賜物を見つめる心になっていない。
賜物をさらに大きくする心。
悪に囚われない心。
悪は放っておけ。
無責任の勧めではない。
もっとも重い責任を意識させる勧め。
あなたの責任はあなたの使命を果たすこと。
それを見失うな。
自分以外のものに心を奪われるな。
私が行おうと思っている正義。
それは本当に正義か。
何かに心が乗っ取られて思い込んでいるだけの正義ではないのか。
私の心のあり方。
きちんと見つめられているのか。
私が今なそうとしていることは私に与えられた使命か。
 
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