7月24日 主日礼拝

7月24日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 14章34ー36節

主イエスは世界をどのように見ていたのか。
私たちは五つのパンと二匹の魚で五千人、1万人を満足させることはできないと考える。
湖を向こう岸に渡るのには船が必要だと考える。
私には足りないものがある。
五千人、1万人、そんな現実に向き合えるものを自分は持っていない。
湖を渡るのには自分だけの力では無理だ。
現実の世界の前で、私は足りない物だらけだと考える。
それが私の世界観。
主イエスの世界観がどうなのか。
五千人、1万人を前にして、自分の持っているものだけで挑んで来いと勧める。
自分の持っているもので通用する。
自分の力だけで世界と渡り合える。
足りないものなど何もない。
弟子たちの乗った船が湖で突風にあい進めなくなる。
主イエスは水の上を歩いて弟子たちの船に近づく。
船はいらない。
船の外は危険、船がなければ生きていけないと
船にしがみつくのが私たち。
水の上を歩く。
船はいらない。
何もなくても進んで行ける。
私には足りないもの何もない。
人の世界観。
私には足りないものがある。
だから、足りないものを補おう、自分を守ってくれるものにしがみつこう。
主イエスの世界観。
私には足りないものは何もない。
そしてこの世界観は自分だけのものだと主イエスは考えていない。
誰しもが見える世界。
誰もが確認できる世界。
その世界を人はどのようにしたら見ることができるのか。
五千人に食事を施す時、
湖の上を歩く時、
その直前、主イエスは同じことをしている。
一人になっている。
自分だけになる。
自分以外のものを削ぎ落とす。
主イエスが水の上を歩いてきた時、ペテロが自分も歩きたいと言い出した。
主イエスにこちらに来いと招かれてペテロは歩き始めた。
だが突風が吹いていることに気がつき怖くなった。
すると溺れてしまう。
自分以外のもの、
そこに心を持っていかれると自分の出来ることができなくなる。
溺れたペテロを助け上げる時、主イエスは言う。
「なぜ疑ったのか。信仰が薄い」と。
信じられない
疑ってしまう。
自分には出来るはずがない、と。
一人になっていないから。
人の言葉、富、権力、過去の出来事
自分以外のものと一緒にいると、自分の力が見えなくなる。
一人になる。
自分以外のものを削ぎ落とす。
見えてくる。
私には何も足りないものはない。
本当の世界が見えてくる。
 
 
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