7月31日 主日礼拝
7月31日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書 15章1ー9節
十戒には「父と母を敬え」とある。
理想の言葉。
現実には難しい。
父と母の言うことを聞いていては幸せになれない。
自分らしさが失われる。
父を母を敬えない。
「父に捧げるものを『神の供物とする』と言えば父を敬わなくてもいい」
と律法の専門家は言い出した。
十戒に苦しんでいる人たちにとっては救済の言葉。
慰めの言葉だったであろう。
無理な理想を捨てて、現実に即した理性的な言葉。
だが、主イエスはこれを批判する。
十戒は理想の言葉ではない。
人の心の持ち方で簡単に実現できるもの
もっとも現実的な言葉。
十戒が現実でないと感じる。
それは十戒が間違っているのではない、
人の心の持ち方が間違っている。
心はどのように持てばいいのか。
この十戒は巡ってのやり取りの直前、主イエスは弟子たちに五つのパンと二匹の魚だけを携えて五千人に挑めと勧めている。
結果、自分たちの持っているものだけで五千人に通用した。
それに続いて弟子たちを今度は船に乗せて湖に漕ぎださせる。
その湖で大風が起こり弟子たちの乗った船は遭難しかかる。
その船に主イエスは歩いて近づいていく。
船はいらない。
湖は歩ける。
五千人とも渡り合え、嵐の湖を船なしで向こう岸に行ける。
それが私。
そのように人は造られている。
十戒の言葉
当たり前のことが言われている。
それがなぜ、現実離れした理想の言葉に聞こえてしまうのか。
自分が信じられないから。
自分が小さいもの、何もできないものと思ってしまうから。
親の言うことを聞いていては私は幸せになれない。
悪人を殺さなければ世界に平和は来ない。
そんなに親は大きいのか。
悪人は大問題か。
自分を信じていないから大きく見えてしまう。
私は五千人に立ち向かえる力を有している。
私は湖を船なしで渡れるもの。
それが私ならば親の小言など私になんの影響あるのか。
悪人と思える秩序を乱すものがどれほどのものなのか。
どれも小さいものに過ぎない。
ならば十戒の言葉はごく当たり前の言葉。
自然に守れる言葉。
十戒が難しい。
そう感じたならば、それは心のあり方がおかしくなっている。
本来小さなものが大ごとに見え始めている。
なんでもできるはずの自分が何もできないものと思い込んでいる。
心が乱れている。
理想と現実。
十戒とこの世界。
何も離れていない。
理想を、十戒を簡単に行える。
それが本当の現実。
理想と現実を引き合わせる。
全ては私の心の整え方にかかっている。
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