「何を聞くのか」
2018年2月11日
使徒言行録5章27〜42節
主イエスの弟子たち。
彼らは迫害を受ける。
教会、信仰は迫害と無関係ではない。
信仰者は迫害をどのように受け止めればいいのか。
ペテロたちはユダヤの宗教指導者たちに捕えられた。
そこでもう二度とキリストを語るなと脅される。
これにペテロは「人に従うより、神に従わなければならない」と答える。
迫害の中での基本姿勢。
だが、どのようにして「神に従う」を私たちは見出すことができるのか。
ペテロ達を尋問している者の一人、ガマリエル。彼が一つの提案をする。
「この者達を放っておけ。
これまでもいくつもの政治運動があった。
一時注目を集めたが全て自滅していった。
人からの者ならそのうちなくなる。
だが神からのものなら、何をしても滅ぼすことはでいない」。
私が神に従うと思うことは「思い込みか」「神の御心か」どこで分かるのか。
ガマリエルの言葉にその答えがある。
ガマリエルの歴史観。
人からのものは自滅する。
神からのものは決して滅びない。
ペテロたちは迫害の中でもひるまない。
勇気があるのか。
折れない強い心があるのか。
それだけではあるまい。
神からのものなら決して滅びない。
ならば、何をしても進んでいく。
実現する。
私の頑張りなど必要としていない。
ペテロ達にはそれが分かっていた。
神の御心は頑張らなくても進むもの。
人の思いに従うのと、神に従うのと、どちらが容易か。
神に従う。
それは本当には楽なこと。
神に従う。
どのようにして分かるのか。
放っておいても結果は出る。
努力をしなくてもたどり着くもの。
使徒言行録が記され読まれた時、ローマ帝国が世界を治めていた。
教会はまだ一地域の新しい教えに過ぎなかった。
21世紀。
ローマ帝国はすでにない。
だがキリスト教は一地域から世界の至るところに広まっている。
信仰者は迫害をどう受け止めるのか。
抵抗も、頑張りも必要ない。
ただ止めようと思っても止められないもの。
それを引き受ける。
そこにこれからに続く未来がある。
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