「語り続ける」  

2018年2月18日

使徒言行録6章1〜7節  

教会とは何か。

使徒言行録はそれを告げる。


教会の中で生まれた課題。

「やもめ」が食事のことでないがしろにされているとの批判が持ち上がった。

ユダヤ、キリスト教は「こども」と「やもめ」を大事にする。

小さなものを大切にする。

それが伝統。

その伝統が軽んじられている。

十二使徒は教会のものを皆集め、告げる。

「私たちは神の言葉に仕える。食事のことを心配するものを別に定める」。

一同はそれに賛成し、ステパノ、フィリポら7名が食事当番として選ばれる。

その結果、教会は栄え多くの信者を獲得する。

役割分担をちゃんとする。

システムを整理する。

そして期待される結果を獲得した。

素晴らしいことだが、物語はこれで終わっていない。


この直後、教会は最初の殉教者を出す。

自分の命よりも大切なものがある。

それを貫いたもの。

主イエス以来の志を示したもの。

それは主イエスの直弟子十二使徒の誰かではなかった。

お食事当番のステパノ、

この者が最初の殉教者となる。

同じくお食事当番のフィリポ。

この者もサマリアという異国に福音を伝える最初の者となる。

さらにはエチオピアの宦官に洗礼を施す。

またステパノの殉教の現場においては後にパウロとなるサウロが立ち会っている。


教会の予定では十二使徒大きな仕事をする者と期待され、信じられていた。

ところがその後の歴史に大きく貢献したものは立派な使徒ではない。

お食事当番が誰よりも大きな役割を担った。


ユダヤ、キリスト教は「小さな者」を大切のする伝統を持っている。

それはその小さな者がかわいそうだからという感情論だけから来た姿勢ではない。

歴史を通して知っていた。

だから伝統になった。

世界は小さな者が作っていく。

未来は小さな者が繋げていく。

大きな者が世界を作るのではない。

小さなものを見過ごすな。

そこに世界のこれからがある。


教会とは何か。

それは世界とは何かにも通じる問い。

聖書の一つの答え。

大きなものに目を奪われる人の予定調和は崩れていく。

小さなものに真実がある。

一本の十字架。

小さなものから始まっている。

世界は小さなものに託されている。


教会が守ってきた伝統。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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