「最後に分かる」

2018年2月25日

創世記25章1-18節

アブラハムの最後、葬式の場面が本日の聖書。

アブラハムの生涯、

75歳の時に神に呼び出され生まれ故郷を離れカナンの地に移住する。

「見渡す限りの土地のすべてをアブラハムとその子孫とに与える。

子孫は星の数ほど増える」。

土地もない寄留者、子どものいない年寄り。

神の約束はすべてアブラハムから遠いもの。

およそ手にすることは不可能なものばかり。

それでも、アブラハムはその言葉を信じて旅立っていく。


アブラハムは神を信頼している。

だが時に神の言葉より状況においては自分の判断、自分の経験を優先させる。

エジプトでは、妻のサラを妹だと偽る。

サラをファラオのもとに差し出す。

「星の数ほどの子孫」の約束が信じられず、

自分たちを守ろうとする。

「子どもが生まれる」との約束を自分勝手に解釈し

側女ハガルとの間の子どもイシマエルを跡取りにしようと考える。

神の約束と異なることを始めようとする。

そのたび、神はアブラハムのしでかしたことをきれいに後始末する。

そしてアブラハムを約束の道へと呼び戻す。

息子イサクを捧げろと命じられたときアブラハムは何も言わず神に従う。

イサクを屠ろうとしたとき、神は「アブラハムの神への信頼」を認め命令を変更する。

その後、アブラハムは一切、迷うことなく神の言葉を信じ、

イサクの結婚、子孫繁栄を実現していく。


アブラハムが聖書に登場いてきたとき

神は「アブラハムを祝福の基とする」と約束する。

祝福。

その者の未来を心から願う、なんでもする。その者を愛すること。

私たちがアブラハムの生涯を愛する。

それは祝福に与ること。


アブラハムは生涯を通して何を私たちに示したのか。

人生に無駄なものは何ひとつない。

遠回りと思えることにも喜びはあり、

つらい経験の中にも必要なものがあった。


アブラハムが聖書に登場したとき、彼の年齢は75歳。

そして息を引き取った時175歳。

物語は100年の話。

その年月はすべてが無駄でないと分かるために必要な時間。

すべてが無駄でない。

それを分かるために今すべきことはアブラハムがしてきたことと同じこと。

信じる。

この歩みの先に必ず分かることがある。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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