8月29日 主日礼拝

8月28日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 15章32ー39節

主イエスがわずかの食糧で群衆を満足させる奇跡。
マタイ福音書は二回、ほとんど同じ出来事を記している。
二回記す。
マタイの意図はなにか。
他の奇跡は一度きり。
この奇跡に限り二回ある。
一度ではない。
何度もある。
続いている。
何が続いているのか。
1度目は五千人に五つのパンと二匹の魚。
2度目は四千人に七つのパン。
わずかな手持ちで大きな相手に挑む。
私たちは福音書の流れから自分たちに引き寄せて解釈をしてきた。
わずかな手持ち。
私のタラントン、賜物。
群衆、大きな相手、現実。
小さな私が大きな現実に直面する。
尻込みをする。
だが、主イエスはひるまず進めという。
結果、大きな現実に小さな私たちは対応できる。
私が持っている小さな賜物は決して小さいものではない。
それを思い出させるための物語、と解釈をしてきた。
このテーマがなぜ二回繰り返されるのか。
二つの物語を比較すると気が付くことがある。
五千人、四千人、パンの数。
これらが違っている。
これらは目に見えるもの。
見えるものは変わっている。
変わっていく。
現実とはそういうもの。
見えるものは変わっていく。
現実が新しくなったから、私たちの力は通用しなくなるのか。
パンを配る様子、人々がどのくらいのパンを食べたか、見えない。
見えないが、配られ、満足した、これは変わらずに起こっている。
私たちの賜物。
見えないもの。
現実に通用する変わらないもの。
では、その賜物はどのようにして自分自身で確認することができるのか。
主イエスがパンを配る前にしていること。
人々を座らせる。
祈りを捧げて、配らせる。
儀式的な仕草。
礼拝を想起させる。
主イエスはわずかのパンに感謝をしている。
自らの賜物に気が付く。
そこには感謝が必要。
だが、私たちは感謝を行っているのか。
私の願いがかなった。
神様に感謝をする。
それは感謝か。
神への肯定的評価ではないのか。
他の言葉で代用できるのなら、それはそのもの、感謝ではない。
全てのものに感謝をしようと聖書に書いてあるから、それを行っている。
これも感謝ではない。
権威に追従をしている。
他の言葉で代用できるのなら、それはそのもの、感謝ではない。
感謝とは何か。
感謝とでしか言い表せないものは何か。
自分のお腹の中から湧き上がってくる喜び。
予定調和ではなくそこでしか味わうことができない驚き。
私だけ、ここだけ。
感謝としか言えないものが湧き上がる。
私が神様から与えられた賜物と出会った時に起こるもの。
どうすれば私の賜物を出会えるのか。
感謝に至れるのか。
人々にパンを与えるとき
主イエスと人々の様子。
それは礼拝の形。
礼拝
私たちが毎週、守っている礼拝
礼拝の目的は何か。
心からなる感謝
それができる体になる。
賜物を知る私になる。
よく似た奇跡をマタイは二度記す。
続いているもの。
続けられているもの。
礼拝
そこに私が行う奇跡の源がある。
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