10月23日 主日礼拝

10月23日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 18章1ー5節

天の国では誰が一番偉いのですか。
一番幸せなものとはどういう者ですか。
弟子たちの質問にイエスは答える。
「子供のようになること」
「子供を受け入れること」
子供とは何か。
イエスの語る「子供」は「山上に説教」とも「創世記の創造神話」とも重なる。
「あなたは地の塩、世の光」
生まれた時から、子供の時も、大人になっても与えられている私の賜物。
だが、それを人は簡単に捨てる。
周囲を気にして、他者の言葉に引っ張られて、自分を捨てて行く。
周囲、他者、これを重んじるものを「大人」と言う。
何も心配をしないアダムとエバ。
子供のように無邪気であった。
そこに蛇が登場する。
「お前には足りないものがある」
蛇の言葉は大人になるための大切な心構え。
私たちは「子供」のようになれるか。
誰もが子供であった。
それを思い出せばいいだけのこと。
だが、それがなかなかできない。
自分は不十分だと思っているから。
足りないものがあると思っているから。
私たちは「子供」を受け入れられるか。
不十分なもの、未熟なもの。
「お前には足りないものがある」
教育をしなければ、気づきを与えなければ。
蛇の言葉を私たちは語っている。
なぜ、人は子供に帰れず、子供を受け入れられないのか。
からし種一粒の信仰がないから。
信じていない。
自分を楽しめない。
タラントンの譬え話に登場する、主人から預かったタラントン土に隠したもの。
大人の判断。
なくなるといけないから。
預かったものを用いて倍にしたもの。
恐れがない、危険察知、計算がない。
無邪気にそれを使っている。
子供の振る舞い。
それをイエスは認め
大人の振る舞いを咎めている。
子供は自分の生活を心配していない。
自分のミルクの残量を気にしたりしない。
なんでもあると思っている。
なくならないと思っている。
私たちはそう思えない。
大人だから、周囲に、未来に心を配っている。
その結果、自分を見失い、信じることに怖気づく。
大きな信仰は求められていない。
一粒の信仰でいい。
一粒の未来への希望でいい。
私は地の塩、世の光。
私は全てを持っている。
勇気が必要な一粒の何かがあれば
全てを与えられている本当の私に気が付くことができる。
天の国では誰が一番偉大なのか。
子供の私が、その答えを知っている。
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