10月16日 主日礼拝

10月16日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 17章22ー27節

徴税人がペテロに尋ねる。
あなたの先生は神殿税を払わないのか。
ペテロは即答する。
「払います」
税金に象徴されている「支配」。
「支配から逃れられると思っているのか」
支配は世界を納めているもの
常識、システム、富、学歴。
これにすがれば次に行けると思えるもの。
一旦そう思えば、それにすがり、依存し、支配を受け入れることを始めている。
「払います」と即答したペテロは常識人。
支配からこぼれ落ちる怖さをよく知っていた。
だが人は一生、支配の中で生きなければならないのか。
私たちは生涯、奴隷なのか。
システムを尊重したペテロに向かって主イエスは間の抜けた質問をする。
王様は税を自分の子どもから取るのか?
税は他の者から取ります、とペテロは答える。
そうだよな
私は税を払っていない。
王の子どもも払っていない。
払っていないということから、私は誰の子どもなのか。
記されてはいない解答は「神の子」であろう。
神の子だから神殿、自分の家にお金を納める必要はない、
がここでの主イエスの意図であろう。
ならば払わないことを主張するのかと思えば
釣りに行って魚の口に銀貨があるからそれで払っておけ、と言う。
この主イエスの間の抜けた言葉はなんなのか。
実はこれが「支配を乗り越える」言葉になっている。
私たちが考える支配に打ち勝つ方法、自由を獲得する方法。
大まかに二つ。
税の元締め、支配の元締め、支配者を倒すこと。
世にある戦争は自由のために行われる。
「支配者を倒せ」
これを叫ぶ人の心はどうなっているか。
力んでいる。
自分の正義に固執している。
自分の正義に依存し、奴隷になっている。
支配に打ち勝ってはいない。
もう一つの方法を選択する者もいる。
打倒とは逆に「支配」のある世界から逃れようとする仕方。
支配と関係のない自分たちだけのコミュニティー、パラダイスを作ろうとする。
だが人が集まれば約束事が生まれ、このコミュニティーから出ていけば怖い支配が待っているぞと、支配する。
一つの支配と距離を置いても次の支配を再生産しているだけに過ぎなくなっている。
これに対して主イエスの言葉はどうか。
力が入っていない。
払っても、払わなくてもどちらでもいいんだけど、ここは払っとこうか。
魚にお金あるから、それで済ましといて。
「こうでなければならない」が全くない。
あれか、これかがない。
どっちでもいい。
なぜ主イエスはどちらでもいいと言えるのか。
私たちは「富を得なければならない」「学歴を重ねなければならない」「常識を重んじなければならない」と選ぶべきものは決まっていると思っている。
言わば支配の中で生きることこそが世界の歩き方だと思っている。
主イエスは「どっちでもいいんだけどな」と言う。
どうして違うのか。
この直前、主イエスは辛子だね一粒の信仰があれば山を動かせると言った。
答えは一つと思っている私たち。
その私たちは主イエスに言わせれば「信仰がない」。
主イエスはなぜ徴収に怯えないのか。
システムから外されることを怖がらないのか。
支配の中にいても平気なのか。
お金は釣りに行けば手に入る。
何が示されているのか。
神が全てを備えている。
信仰とは何か。
神が全てを備えていると安心していること。
安心しているから、「どちらでもいい」と言ってしまう。
どちらから行っても行くべき所には必ず行ける。
世界はそうなっている。
なのになぜわざわざ怯えているのか。
支配に浴しているのか。
人はどうしたら奴隷から解放されるのか。
支配を乗り越えられるのか。
どちらから行っても
何が起こっても
必ず私は約束の場所に到着できる。
私が神様から預かっているもの
賜物
それが魚が持っていた銀貨。
ちゃんとある。
心配するな。
私は大丈夫
その心にたどり着いた私はもはや奴隷ではない。
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