10月30日 主日礼拝(オンライン)

10月30日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書 18章6ー9節

「つまずき」を与える者を主イエスは厳しく戒める。
人をつまずかせるものは生きる価値がないと言い切る。
進もうとしている人がる。
それを妨げる者を批判する、それは誰しもが納得をするところ。
だが、これに続く言葉に私たちは戸惑う。
「手」「足」「目」が自分をつまずかせるなら、それを切り落とせ、と。
自分が自分をつまずかせることがある。
これは何を言っているのか。
「手」「足」「目」
これらは私にとって大切なもの。
その大切なものが私をつまずかせる。
自分自身だと思っているものが私の行く手を阻む。
私の大切なもの。
私自身だと思っているもの。
私の経験
誇り
肩書き
成果
信念
常識
正義
仲間、家族
私が大切にしているもの。
私自身だと思っているもの。
それが、私の行きたい所。
行くべき所。
そこへの道を阻むことがある。
その時、私はどうすればいいのか。
主イエスの答えは明瞭。
捨ててしまえ。
捨てられるものは自分自身ではない。
自分自身を守れ。
私たちには「塩味」「光」がある。
賜物がある。
それを阻むもの。
それが私の大事なものであっても、
「塩味」「光」を曇らせるものであるなら、それを捨てろ。
厳しい言葉であると共に、更に私たちへ問いかける言葉でもある。
私たちは自分の「塩味」「光」を見つけた。
賜物を見つけ、それを磨こうと励んでいく。
自分の大切なものだと大事にする。
自分自身だと。
だが、私の信じる「賜物」に、自分が縛られていることはないか。
賜物と思っていたものの先に、更なる「自分」がいることに気が付くことはないか。
もし、これが「私」と更なる発見があるのなら、
自分が今日まで大切だと思っているものを捨てろ。
悔い改めて福音を信じろ。
主イエスの宣教の最初の言葉。
悔い改める。
昨日まで大切だと思っていたものが、今日の私を阻むなら、昨日の私に縛られるな。
悔い改める。
日毎に新しくなる。
昨日の私を今日の私が超えて行く。
本当の私の行くべきところに進むために。
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