4月16日 主日礼拝

4月16日 
復活節第二主日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書21章33~46節

先週迎えたイースター
このイースターの意味を探るため受難週の物語に聞いていく。
イエスが生涯の最後の一週間で語った物語。
ぶどう園の主人と農夫の話。
ぶどう園を農夫に貸し与え旅に出た主人。
収穫の時
共に祝おうと農夫の下に僕を派遣する。
ところが農夫たちはこれを拒む。
話が通じないと思った主人は息子を派遣する。
すると農夫たちはこれを亡き者にすればぶどう園は自分たちのものになると思い、
息子を殺害する。
人類の歴史を語った物語。
神から与えられた世界を我がものにできると勘違いをしている人類の物語。
イエスは尋ねる。
息子を殺された主人はどうすると思うか。
聞き手は答える。
農夫たちを皆殺しにして、収穫をちゃんと管理できる別の働き手を探す、と。
確かに誰しもが想像できる模範解答。
だが、これに続くイエスの聖書の引用はこの答えをそのまま奨励していない。
家づくりが捨てた石が隅の親石になる。
家つくりに慣れたプロの大工がこれは役立たないと捨てた石が、建造物の一番大切な石として用いられる。
人生を、この世界で成功することに長けていると思っているものが、これは不必要としたものが実は一番大切だった。
専門家でも間違える。
人は何も分かっていない、という譬え。
イエスはこの後十字架にかけられる。
人が本当に幸福になる道を示したのに、それは邪魔だと人々から退けられる。
この世界が神から与えられているものであることを忘れた農夫たち。
自分たちでなんでもできると思っていた。
この世界を行き抜くのは、幸せになるのは自分たちの努力だけだと思っていた。
何の不自由もないエデンの園。
人には不必要、と言われていた善悪の知識の木の実。
必要ないのに、それが大事だと人は手を出した。
自分の判断が大事
自分の決断、働きこそが幸福になる方法と思い込んで動き出した。
動くのは私
私の選択、決断、
自分の技にしがみつき、執着する。
手放せと勧めるイエス。
神の守りがあることを信じろと語るイエス。
人はそのイエスが受け入れられない。
目障りなイエスを亡き者にする。
イエスの十字架
人が一番簡単、最も幸せになる道を示した神の言葉を人は自ら拒絶した。
大地が、空気が、水がなければ生きていけないと知りながら、それを自ら壊している。
幸せになりたい
いつまでも健康でいたい
そう思いながら、自らそれを壊していく。
ぶどうの収穫を喜び、いつまでもぶどう園を切り盛りしたいと願ってるのに、その主人を怒らせることする。
人は一体、何者なのか。
怒った主人は農夫を皆殺しにする。
怒った神は人に天罰を与える。
誰しもに予想のつくこと。
捨てられた石
それが復讐に来る。
当たり前のストーリー
だが、聖書の語った物語は捨てられた石が親石になる。
世界の基盤になる。
十字架で死んだイエスの敵討ちに神がやってくるのではない。
イエスは甦った。
神は何もしてこない。
神は変わらない。
気がつけ
悟れ
理解しろ
あなたに与えた地の塩、世の光
あなたの賜物
神を信じる
自分を信じる
人の作り出したものにすがるのではない。
神が与えた自分を輝かせる。
神の言葉を無視しようが、
自分の賜物を信じられなかろうが
賜物を捨て去ろうが
神は変わらない。
気がつけ
悟れ
信じろ
神は変わらない。
イースターで私たちに示されたこと

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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