命を掘りあてる

2018年6月24日

創世記26章15ー33節

不安、困難の現実と直面すると、人はなんとかしようと慌て出す。

異国で命の危険を感じたイサクは妻を妹だと偽って生き延びようとする。

結局、神に全てを明らかにされ目論見は失敗するが守られ、繁栄が与えられる。

神がどんな時も守っている。

その経験をイサクはする。  


そのイサクがまた試練に遭う。

王様アビメレクに住んでいるところを追い出される。

かつて父アブラハムが掘った井戸をことごとく塞がれる。

生きる糧、希望、それが潰されていく。

イサクたちは井戸を掘りあてても土地のものに略奪される。

希望が生まれない。

闇と直面している。  


ある時、アビメレクが突然、イサクに和解を申し出る。

誓約を交わし平安のうちにそれぞれのところで生活を始める。

その直後、イサクの元に僕が帰ってくる。

「水が出ました」。

新しい井戸を掘り当てた。  


私たちが感じる「闇」は人間関係であったり、社会情勢であったり見えるもの。

イサクはアビメレクとの関係で翻弄される。

翻弄されている間じゅう奪われもするが井戸は掘り出されている。

そしてアビメレクとの和解が成立してからも井戸は見出される。

見えるもの、それがどんな状況でも井戸は生まれ続けている。

何が語られているのか。 

関係がない。

 見えるものがどうであれ井戸は見つかる。

うまくいっても、

行き詰っていても、

関係なく井戸は生まれている。

井戸、

生きる糧、

生くる望み。

神の守り。 


楽しい、つらいは人の判断。

その人の足もとで起こっている。

井戸は何にも影響されずに生まれ続けている。

苦難の底、

闇の根底、

そこにも溢れる泉は湧き上がっている。


見えないところ。

そこには今も私を支える確かな神の恵みが満ち溢れている。

信仰は神様に見える世界を整えてくれと要望を出すことではない。

わたしの足もとには尽きぬ泉があることを知る。

信じる。

わたしの命を信仰は支える。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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