8月20日 主日礼拝
8月20日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書25章14-30節
イエスが最後の一週間に残した言葉。
「人は分かっていない」
分かっていないこと、ふたつ。
いつ神に会うのか分かっていない。
自分が何者か分かっていない。
これに続けて言われたこと。
「分からないままでは済まされない」
いつ、神と出会うのか。
これについての日時が分からなくとも問題はない。
ただ、いずれ必ず会う、
その備えをしなければならない。
その備えとは何か。
ふたつめの分かっていなければならないこと。
「私は何者なのか」
あなたは地の塩、世の光。
私たちは、私にしか与えられていない使命がある。
役割がある。
賜物がある。
だが、それを自分以外の言葉に怯えて忘れていく。
どのようにしたら自分の賜物を知ること、思い出すことができるのか。
タラントンの譬え話は私たちに賜物との出会い方について語っている。
主人が僕の力に応じて「5タラントン」「2タラントン」「1タラントン」を分け与え旅に出る。
そうとうの日数が経ってから主人が帰ってきて精算をする。
「5タラントン」「2タラントン」預かったものはそれぞれ倍に増やし報告をし、主人から褒められる。
「1タラントン」のもの
土に隠しておいた元金を主人に返す。
すると主人は怒り、このものを放り出す。
私たちはタラントン・賜物をどのように見つければ良いのか。
私たちが「自分のタラントン」「塩味」「光」が分からなくなっていたら、この「1タラントン」の者の思考が参考になる。
この者は主人から預かったお金を地面に埋めておいた。
「なぜ、埋めておいたのか」と主人から聞かれた際
「あなたは撒かないところ、散らさないところから刈り取る方だからです」と答える。
何も持っていなくても、なにがしかのものを取り立てる方です、という意味であろう。
だから怖かった、と。
「どうして銀行に預けなかったのか」と主人から問われる。
当然、この者も、それは考えたであろう。
当時の銀行がどれほどの信用を得ていたのか定かではないが、外国の勢力が侵攻している情勢下で利息がどれほど約束されるのか。
元金さえも失いかねない緊張状態に置かれている銀行など信用に値しない。
銀行に預けていてもタラントンは失われるかもしれない。
土に埋めて置くことが一番安心だ。
1タラントンの者も決して主人を蔑ろにしていたわけではない。
ただ、それでも主人はこの僕を許さない。
ダメな僕だと宣告する。
この僕の何がいけないのか。
私たちはどのようにしたら自分の賜物、「塩味」「光」を見つけることができるのか。
この僕の何がいけないのか。
この僕はタラントンについてどのように考えていたか。
「なくなるといけない」
用い方を失敗すると、タラントンはなくなる。
タラントンはなくなるもの。
この僕は何がいけないのか。
タラントンがなくなると思っていた。
タラントンにはなくなる可能性が付随していると思っていた。
タラントンはなくなることもあると思っていた。
この僕は何がいけないのか。
タラントンはなくなると思っていること。
タラントンとは何か。
私たちの賜物とは何か。
「塩味」「光」とは何か。
決してなくならない。
何をしても失われない。
あり続ける。
在る、としかいられないもの。
タラントンはなくならない。
私の賜物、塩味、光
どうしたって在り続けるもの。
「夢」「希望」状態は個人によって様々。
ただ自分の中にあり続けているもの。
何かあるはず。
否、人はそういうふうにできている。
自分の中にあるもの。
それを用いてみろ。
倍になる。
タラントンを預けた主人はそうとうに日数、旅に出ていたとある。
「5タラントン」「2タラントン」のものがいつ倍にしたのかは書いてない。
主人の帰ってくる前日だったかもしれない、毎日毎日コツコツ貯めていったのかもしれない。
そうとうの日数がかかっている。
自分の光は分かっている。
だが、それが輝かない。
そんなことはいくらでもある。
だから、この譬え話がる。
そうとうの日数がかかる。
タラントンはなくならない。
失敗しても必ず手元に返ってくる。
そして必ず倍になる。
私たちは分かっていない。
そして分からないままでは済まされない。
私が持っているもの。
なくならないタラントン。
倍にする。
分からない「日」までにしておくこと。
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