8月13日 主日礼拝

8月13日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師

マタイによる福音書25章1-13節

イエスの最後の一週間
大切な言葉を残していく。
10人のランプを持っていたおとめたち。
5人は油の準備をしている。
5人は油を持っていない。
10人揃って花婿を迎えるために火を灯す。
花婿の到着が遅れる。
深夜になり灯りが消えそうになる。
油を持っていないおとめたちが持っているものに願い出る。
「油を分けて欲しい」と。
これに対して持っているおとめたちは答える。
「わけることはできない。自分で店に行って買って来た方がいい」。
持っていないものたちが油を買いに出かけている間に花婿は到着する。
油を買って帰って来たが、門は閉じられている。
「開けて欲しい」と懇願したが、主人は「お前たちは知らない」と退けられる。
油を分けないおとめたち。
不親切だと感じる所。
だが、これは譬え。
油はなんの譬えか。
分けることができないもの。
人と共有できないもの。
私の賜物
私の能力。
人がそれを欲しいと言っても、それをどのように与えればいいのか手段がない。
その者だけが所有しているもの。
その者、固有のもの。
私にあるもの
賜物
あなたは地の塩、世の光
あなたの光を輝かせ。
あなたの灯を消し去るな。
5人のおとめは油を買い、
5人のおとめは油を買わなかった。
油とはなんなのか。
花婿の到着時刻は分かっていた。
その時刻までの灯の油は十分あった。
壺に油を買う。
それは余計なこと、愚かなことに見えたはず。
効率よく生活する。
合理的にことを進めていく。
油など買うべきではない。
なぜ、買わない判断が正しいと思えるのか。
花婿の到着時間。
終わりは「ここ」でしょ、を分かったつもりになる。
私の賜物は「これ」
私の大きさは「これ」
自分の器の大きさを自分で判断する。
それに関係のないもの。
不必要、余計なもの、
いらないもの、仲間ではない、敵。
自分の大きさを自己決定すれば「余計なもの」「敵」が生まれてくる。
神はこの世界を造り、それを全て「良い」と言った。
この世界に余計なもの、いらないものがあるのか。
敵がいるのか。
いらない、敵、それは自分で自分のサイズを決めた「私」が作っているもの。
神が造った世界。
本当の世界に余計なもの、いらないもの、敵はいない。
私の「光」「灯」はここまで。
時間制限、限界を設定する。
それは油を買わなかった愚かなおとめたちの判断。
私の「光」「灯」はもっと大きいはず。
もっと明るいはず。
もっと長く長く続くはず。
灯に必要なもの、全てを手に入れる、全てを触ってみる。
余計なものなど何もない、と信じて向き合ってみる。
不条理、不愉快、絶望
私たちは直面をする。
それを排斥するのは「油」を買わないのと同じ行為。
向き合ってみる。
そこに何があるのか思考してみる。
必ず何かある。
私の「光」を輝かせるための何かがある。
私の「塩味」を醸し出させるための何かがある。
終わりの日
私が何者か問われる時
私がどれほどのものと向き合い、私の賜物を豊かにしてきたか。
私は神の準備した「私」の大きさに到達しているか。
もっと大きな私がいる。
私の知っている私の先に本当の私がいる。
十字架
復活
イエス・キリスト
私の知らない私に向かって進んでいく。
神の準備した私に賭けて進んでいく。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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