和解の喜び

2018年8月19日

森下 滋 伝道師

コロサイの信徒への手紙1章14‐23節

使徒パウロは言う。

「福音の希望から離れてはならない」。

私たちは既に救い、即ち罪の赦しを与えられ、それを持っている。

もはや罪による死の支配下にはいない。

キング牧師は語った。

「すべての丘と山が低くなり、荒地が平原となり・・・

神の栄光が姿を現しすべての人間がそれを一緒に見ることを、私は夢見る」と。

 

 和解の日は近づいている。

あらゆる国家や人種間、友人や家族との問題。

すべての壊れた関係がもとに戻ろうとしている。

神がすでに行われた和解の故に私たちにも和解を与えられる。

しかしこれを信じられないで苦しむ者がいる。

「あなたの隣人を愛せよ」

「自分の敵を愛せよ」とは主イエスの最大の教えである。

しかし自分の努力では決して不可能である。

14節でパウロは言う。

「私たちは既に救われている」。

誰によって?

御子によってである。

では御子とはいったいどなたなのか?


御子とは見えない神のイメージ。

この世界は父なる神が御子において創造された、完了した創造である。

昔も今も永遠におられる方。

彼の体は教会、私たちはその器官である。

彼は死者の中から復活した。

ゆえに私たちが従う案内人となった。

彼の死は私たちすべての新たな始まりとなった。

神は御子の死を喜んだ。

そして御子に充満を冠として授けた。

神の目的は御子の十字架によりこの世に「平和を創ること」である。

十字架を通して天と地は神と和解を行った。


私たちはかつて悪行(ポルネイア)の中にいた。

悪行はなにも性的・倫理的悪口ではない。

神を知る、御子を知るという本当の知識に対して敵対したことである。

終末において本当の和解が起こる。

新しい創造では時と出来事が一致する。

この時この福音を拒む者が現れる。

御子ではなく自分を推薦し、真の権威を冒涜する者である。

私たちは、今御子の御前に立てるであろうか?


悔い改めよう。

そこには裁きはない。

主イエスも使徒パウロとキング牧師も死なれたのは何のためか。

神と私たちが和解して平和を創り、

人と和解し、

喜びの中で生きるためである。

主イエスの十字架は私たちの命と魂が喜びの歌を歌うためなのである。

信じて受け入れて、

悔い改めよう。

そして喜びを伝える者とされよう。

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