私たちの喜びの理由

2018年8月26日

森下静香信徒伝道師

コリントの信徒への手紙一 1章18節~31節

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものだが、

私たち救われる者には、神の力である。

十字架の言葉。

ここでの言葉は他の翻訳では、「説教」、「メッセージ」、

また韓国語の聖書では、「道」とも訳されている。

単なる言葉以上の広い意味を持つ。

十字架はイエス・キリストがその上ですべての人の罪のために、

また永遠の命を与えるためにただ一度死んでくださった十字架を指す。

滅んでいく者とは、イエス・キリストの十字架の言葉を拒む者。

それに対して、救われる者とは、

十字架の言葉を信じ、受け入れ、救いをいただく者のことである。


 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求める。

しかし、十字架の言葉を信じ、受け取る者はどこの国の人であっても、

キリストを伝える者となる。

キリストはユダヤ人にとっては、つまずきとなるもの、

ギリシャ人にとっては愚かなもの、

しかし、召された私たちには、神の力、神の知恵である。

私たちは神から力となる言葉、神の力そのものをいただくことができる。

パウロはそれを身をもって体験した。


 パウロがコリントの教会の人たちに思い出させたこと。

それは神によって、教会の人々がキリスト・イエスに結ばれていること。

キリスト・イエスの中にある。

そのキリストは、神の知恵となり、義と聖と贖いとなられた。

そのことが伝えられ、パウロと同じように私たちがその力を体験するとき、

私たちは十字架の言葉であるキリストを伝える者となる。


 しかし、どうやって伝えていくのかが問題となる。

明日から日本のメソジスト派の教会が集まり毎年行われる更新伝道会が青山学院で持たれる。

私たちには十字架の言葉を伝えていく使命がキリストから託されている。

言葉で伝えること、

そして全人生を通して十字架の言葉の力を伝えることが私たちの使命である。

パウロがコリントの教会に思い起させたことの中に、

私たちの真の喜びの理由がある。

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

渋谷区代官山の地に半世紀。本多記念教会は、青山学院大学初代日本人院長『本多庸一』を記念して、1953年に代官山にて創立された教会です。私たちは初めてのあなたを歓迎致します。

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