相転移

2018年9月9日

使徒言行録13章33-52節

  使徒パウロが回心してから始めての説教をする。

自分が大切にしていること。

皆に分かってほしいこと。


主イエスの復活は私たちの罪の赦しを表している。

「罪の赦し」とは何か。


「罪」には二つある。

私が犯した「罪」。

人から私が被った「罪」。


 私が犯した「罪」。

公になってしまったら「後悔」という心の動きになる。

どうしてあんなことをしたのか。

どうしたら信用を回復できるか。


 まだ知られていない「罪」。

それをどうしたら隠し通せるか「不安」「心配」が心を覆う。


 人から被った「罪」。

私が正しいと自覚すればするほど「怒り」がこみ上げる。

私は正しい。

あの者はそれに気付きもしないで人を蔑ろにする。


 「後悔」「心配」「不安」「怒り」。

罪の周辺で発生する心の動き。

ここには同じ働きがある。

罪の周辺をウロウロして罪から離れられず、

答えの見えないものを何度も何度も繰り返す。


主イエスは十字架に架けられた。

無理解なものたちから「罪」を被った。

父なる神は怒ってよかった。

怒っていつまでも「罪」の周りで人々を呪ってもよかった。

心が止まって凍り付いてもおかしくなかった。


「罪」の周りでは心が止まる。

止まって動かなくなる。

罪の周りでは心が死んでしまう。

主イエスは罪のゆえに墓に葬られた。

だが、三日目に墓から出てきた。

止まっていない。

固まっていない。

 神は止まらない。


罪に覆われても止まらない。

罪の支配から放たれてくる。

それを「赦し」という。


私は「赦される」「赦せる」。

だがそれを信じられないユダヤの民は怒ってパウロを殺そうと企てる。

心が固まり「赦し」が信じられない。


「赦し」が世界にある。


それを信じる者に敵はいない。

パウロ達は異邦人のところに行くと宣言する。


「赦し」がある。

ならば人の心は止まらない。

動き出し、希望へと進んで行ける。

心の本当の在り方を思い出したい。 

日本基督教団本多記念教会オフィシャルサイト

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