分裂からの始まり
2018年9月30日 伊藤大輔牧師
使徒言行録14章1-7節
使徒言行録を記したルカ。
「福音書」とともに教会の出来事を記す。
ルカは歴史を記す。
歴史が大切と思うから。
慰めがあると思うから。
福音があると思うから。
ルカは歴史を通して何を語るのか。
「福音書」「使徒言行録」。
ルカは時間を振り返ってこれらを記す。
ここには記されているもの。
仲間が殺された。
主イエスを証しして命を落としていった。
主イエスのせいで死んでいった者たちがいた。
神様を信じているのに、どうして私たちに幸せは訪れないのか。
使徒言行録は主イエスの弟子たちへの勧めから始まる。
「地の果てまで私の証人となる」。
この言葉によって使徒たちは宣教へ赴き迫害される。
主イエスを証しして何かいいことがあるのか。
何もない。
使徒言行録は使徒たちが語る「説教」が四分の一を占めている。
その説教はイスラエルの過去語る。
歴史を語る。
その歴史は輝かしいものではない。
失敗の歴史。
罪の歴史。
苦難お歴史。
ルカの歴史観がここにある。
イスラエルは神に選ばれたもの。
祝福された民。
その民は苦難に遭う。
それが歴史だと、事実だとルカは言う。
神に選ばれたもの、神に祝福されたもの、そのものは苦難に遭う。
祝福されたものは平穏のうちに過ごせる、
とは人が勝手に設えた予定。
歴史の中でそんなことは起こっていない。
神の祝福に与ったものは苦しんでいる。
だからルカは苦しんだ者たちの姿を記す。
彼らは祝福されているから。
歴史の中で働く神は予定調和の神ではない。
私たちに悔い改めを求める神。
神の恵みは人の予定を超えている。
時にそれは苦難として感じられる。
それは不幸ではない。
神は人を鍛えている。
人の思いを壊しながら真の世界を示していく。
永遠の命。
人の経験では納得できないもの。
苦難もまた人の感覚では納得しがたいもの。
だから信仰が求められる。
苦難を拒否するは人の感覚。
だがそこで神を尋ねられるか。
イサクを屠る時のアブラハムのように、
十字架で神に問う主イエスのように、
神を求められるか。
闇の中で神を求める。
神は私たちを鍛えている。
愛ゆえに。
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